ソ連の対日宣戦布告=1945(昭和20)年8月8日

 

 

ヒットラー独逸ノ壊滅及ヒ降伏後ニオイテハ日本ノミカ引続き戦争ヲ継続シツツアル唯一ノ大国トナレリ、日本兵力ノ無条件降伏ニ関スル本年7月29日附ノ亜米利加合衆国、英国及ヒ支那三国ノ要求ハ日本ニヨリ、拒否セラレタリ、コレカタメ極東戦争ニ関シ日本政府ヨリソ連邦ニ対シナサレタル調停方ノ提案ハ総テノ根拠ヲ喪失スルモノナリ日本カ降伏ヲ拒否セルニ鑑ミ連合国ハ戦争終結ノ時間ヲ短縮シ、犠牲ノ数ヲ減縮シ且ツ全世界ニオケル速カナル平和ノ確立ニ貢献スルタメソ連政府ニ対シ日本侵略者トノ戦争ニ参加スルヤウ申出テタリ

総テノ同盟ノ義務ニ忠実ナルソ連政府ハ連合国ノ提案ヲ受理シ本年7月26日附ノ連合国宣言ニ加入セリ

斯ノ如キソ連政府ノ政策ハ平和ノ到来ヲ早カラシメ今後ノ犠牲及ヒ苦難ヨリ諸国民ヲ解放セシメ且ツ独逸カ無条件降伏拒否後体験セル如キ危険ト破壊ヨリ日本国民ヲ免ルルコトヲ得セシムル唯一ノ方法ナリトソ連政府ハ思考スルモノナリ

右ノ次第ナルヲモツテソ連政府ハ明日即チ8月9日ヨリソ連邦ハ日本ト戦争状態ニアルモノト思考スルコトヲ宣言ス

 

 

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日本とソ連は1941(昭和16)年4月、相互不可侵を基本とする「日ソ中立条約」に調印、太平洋戦争ぼっ発以降も両国は中立関係を維持したが、1945(昭和20)年2月の英・チァーチル首相、米・ルーズベルト大統領、ソ連・スターリン首相が出席してヨーロッパの戦後処理を決定したヤルタ会談ヤルタ協定でソ連は対日参戦することをアメリカとイギリスに確約するところとなる。

 

この確約を実行するため、1945年8月8日、ソ連は、条約を一方的に破棄し、9日午前0時、満州国(中国東北部)や朝鮮などに進撃を開始した。この戦で、満州の日本開拓民約8万3000人が死亡、数千の子供が「孤児」として大陸に残され等、各地で悲劇が起きた。

 

布告は8月8日午後11時(モスクワ時間午後5時)、ソ連外務大臣ヴャチェスラフ・モロトフから日本の駐ソ連大使佐藤尚武に伝えられた。

 

ソ連の宣戦布告に対して、最高戦争指導会議がポツダム宣言受諾問題の処理で手一杯で、結局、日本側からの対ソ宣戦は行われることはなかった。

 

布告の要点は以下の3つである。

1.日本政府が7月26日の米・英・中によるポツダム宣言を拒否したため、日本がソ連に打診していた和平調停の基礎は完全に失われた。

2.日本の宣言無視を受けて、連合国はソ連に、日本の侵略に対する連合国の戦争に参戦して世界平和の回復に貢献することを提案した。

3.ソ連政府は連合国に対する義務に従って右提案を受諾し、7月26日の3国宣言に参加することを決め、各国人民をこれ以上の犠牲と苦難から救い、また日本国民を無条件降伏後の危険と破壊から救うために対日参戦に踏み切る。

 

 

 

もう一つの8月9日

 

ソ連軍が満州国(中国東北部=現在の黒竜江省・吉林省・遼寧省・内モンゴル自治区北東部。日本が満州事変によって占領、1932【昭和7】年、もと清朝の宣統帝溥儀【ふぎ】を執政に迎え【34年に皇帝】、中華民国から分離させて建国したのが満州国という傀儡【かいらい=操り人業】国家。首都は新京【長春】。政府の要職には満州人を起用したが、事実上は日本人官吏および関東軍の指導下にあった。45年8月5日、日本の第2次世界大戦敗北とともに消滅)に侵攻した日(ソ・満国境突破の日)

45年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を破り、戦車5000台・兵員157万人の圧倒的戦力で満州国に…。満州を守備していた日本軍は蜘蛛の巣を散らすように満州に移住していた100万を超す日本人居留民を見捨て敗走。これが戦後、シベリア抑留や中国残留孤児の問題を生むことになる。

なお、宣戦布告書はモスクワ時間8月8日午後5時(日本時間同日午後11時)、ソ連外務委員モロトフから佐藤大使に対して手交され、大使は直ちに東京に打電したが、この公電は日本に到着していない。この内容を、日本政府がソ連側から正式に言い渡されたのは、8月10日午前11時15分から12時40分。ソ連マリク大使から、東郷茂徳外務大臣に対して言い渡された(05年8月3日放送NHK『その時歴史が動いた−シリーズ終戦60年ソ連参戦の衝撃〜満蒙開拓民はなぜ取り残された』)

 

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