高市総務相「電波停止を命じる可能性」言及 公平欠ける放送に「判断」 

 

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報道・表現の自由への挑戦 「経団連に働きかけ、マスコミ懲らしめを!!広告料収入なくせばいい」

 

報道・表現の自由への挑戦

 

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安倍政権とメデャの関係

2014年11月18日

TBSに出演した安倍首相は、街頭インタビューで一般国民が「景気がよくなったと思わない」「全然アベノミクスは感じてない」と答えると、「(テレビ局の)皆さん、(人を)選んでおられる」「おかしいじゃないですか!」と批判。

1月20日

自民党萩生田光一筆頭副幹事長と報道局長の連名自民党が各放送局に選挙報道の「公平中立」を要請。各在京TV局に圧力

4月17日

自民党・情報通信戦略調査会が、NHK報道番組『クローズアップ現代』―「出家詐欺」報道のやらせ疑惑とテレビ朝日のコメンテーター発言問題で、NHKの堂元光副会長とテレビ朝日の福田俊男専務を呼んで事情聴取

4月28日

高市総務相が、NHKを文書で厳重注意。NHK側は「趣旨が明確でない」と受け取りを拒否したが、深夜になって一転、文書を受け取った

6月25日

自民党の勉強会「文化懇談会芸術懇話会」で、出席した議員が「マスコミを懲らしめるには、経団連に働きかけ、マ広告収入がなくなるのが一番」などと発言

11月6日

放送倫理・番組向上機構(BPO)がNHK報道番組「クローズアップ現代」のやらせ疑惑の問題に関する意見書で、「重大な放送倫理違反があった」公表。意見書の「おわり」で、自民党国会議員らの6月の会合で「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」との発言があったことや、4月の自民党情報通信戦略調査会による事情聴取などを「圧力」の例として列挙。高市総務相が、NHKに文書で厳重注意したことについても問題視し、「今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである」と非難

11月10日

高市総務相がBPOの意見について、「これは法的な規範ではなくて、単なる『倫理規定』としておられます。しかし、過去に国会でも答弁されているとおり、正しくは『法規範性を有する』ものでございます。放送法の第4条に、『報道は事実をまげないですること』などが定められていますけれども、その点で、NHKの番組については、放送法に抵触する点があったと認められたことから、放送法を所管する立場から、総務大臣としての責務を果たすために、必要な対応を行いました」と反論

2016年2月8日

高市総務相が、政治的な公平性を欠く内容を繰り返したと判断した場の電波停止に言及

2月12日

総務省統一見解

2月15日

民主党の山尾志桜里議員は衆院予算委員会での集中審議で、放送法4条と憲法21条との関係について報道の自由やメディア規制の観点から安倍総理らの見解をただす

2月29日

「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)の司会者田原総一朗氏や「ニュース23」(TBS系)のアンカー岸井成格氏、「報道特集」(TBS系)キャスターの金平茂紀氏らジャーナリスト6人が、「私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている」とする声明を発表。

3月2日

法学者らが「政治的公平」などを定めた放送法4条を根拠に処分を行うことは憲法違反にあたるとする「放送規制問題に関する見解を発表

3月4日

高市氏、「憲法上の問題はないと思っている」と述べる

3月7日

「安倍政権の『メディア規制』を許さない」シンポジウムが国会内で開かれる

3月16日

放送倫理検証委員会の川端和治委員長(弁護士)会見で、「放送法4条に基づいて電波の停止を命じるのは、憲法が保障する表現の自由に反する」と述べる

3月17日

井上弘民放連会長会見で、「(電波停止という)非常事態に至ることは、私は想像していない」と述べる

4月19日

国連人権理事会から特別報告者に任命された米カリフォルニア大アーバイン校教授で国際人権法などが専門のデービッド・ケイ氏(米国)が日本での調査を終え、東京都内で記者会見。「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」として、メディアの独立性保護や国民の知る権利促進のための対策を講じるよう政府に求めた

4月20日

NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は、2016年の「報道の自由度ランキング」を発表した。日本は、対象の180カ国・地域のうち、前年より順位が11下がって72位だった。 

 

 

高市早苗総務相は2016年2月8日衆院予算委で民主党の奥野総一郎氏が放送法の規定を引いて「政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうる」などとただしたのに対し、「電波法の規定もある」と答弁。電波停止などを定めた電波法76条を念頭に、「法律は法秩序を守る、違反した場合は罰則規定も用意されていることで実効性を担保すると考えている」と強調した動画

 

そのうえで高市氏は、「行政指導してもまったく改善されず、繰り返される場合に、何の対応もしないと約束するわけにはいかない」「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と語った。

 

「政治的な公平性を欠く」の事例については、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」などと列挙。「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」とした。

 

高市総務相は9日午前の衆院予算委員会でも、民主党の玉木雄一郎氏の質問に答え、「放送法を所管する立場から必要な対応は行うべきだ」と答弁し、放送事業者が政治的公平性を欠く放送を繰り返し、行政指導でも改善されないと判断した場合、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。

 

 放送法4条は放送事業者に「政治的に公平であること」などを求めているが、これを踏まえ、玉木氏は「憲法9条改正に反対する内容を相当の時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるか」などとただした。高市氏は「1回の番組で電波停止はありえない」としたうえで、「私が総務相のときに電波を停止することはないが、将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と述べた動画

 

 放送法4条は放送の自律を守るための倫理規範とされてきたが、高市氏はNHKの過剰演出問題で、行政指導の根拠とした。この点についても「放送法の規定を順守しない場合は行政指導を行う場合もある」との考えを重ねて示した。

 

 砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)は、「気に入らない番組で言うことを聞かなければ停波になってしまうのなら、介入そのもの。そもそも行政は、個々の番組には立ち入らないという大前提でこれまでやってきたのに、現政権はどんどん踏み込んでいる。表現の自由、番組編集の自由についてどう考えているのか。行政が判断するとなると、行政をただすような放送や批判は認めない、となりかねない」と話し、上智大・音好宏教授(メディア論)は、「高市総務相は、放送事業者が放送法違反を繰り返し、行政指導しても無視した場合、電波停止もあり得ると言っている。だが、どのくらいだと問題なのか、はっきり言わず、あいまいだ。時の政権に批判的な放送を続けたら、大臣の裁量で(電波停止を)できると解釈できてしまいかねないところが心配だ。高市氏は「宝刀」を「私の時には抜かない」が、(将来の大臣が)「抜くかもしれない」と殊更に言っている。こういう発言が、放送事業者の萎縮を招く危険性がある」とコメントした(2016年2月10日配信『朝日新聞』)

 

 これに関連し、菅義偉官房長官は9日午前の会見、「従来通りの総務省の見解で、(高市氏は)当たり前のことを法律に基づいて答弁したに過ぎない。(政府の恣意しい的な電波停止は)あり得ない。放送法に基づいて放送事業者が自律的に放送するのが原則だ」と述べた。

 菅氏は、高市氏は答弁や記者会見で歴代総務相らの名を挙げ、答弁で電波停止に言及しているとも強調した。

 

しかし、福田政権時の2007年11月、増田寛也総務相は答弁で「国民生活に必要な情報の提供が行われなくなり、表現の自由を制約する側面もあることから極めて大きな社会的影響をもたらす。慎重に判断してしかるべきだ」と述べて、電波停止に政府は慎重な対応が必要だと強調しており、大臣の権限をあえて前面に出した高市氏の答弁とは異なる。

 

また、2010年11月に国会で表現の自由と行政の権限行使について聞かれた、民主党の菅直人改造内閣での片山善博総務相は、「こちら側の態度としては、極めて謙抑的でなければならない」と答弁している。

 

 

○増田国務大臣 お答え申し上げます。

 まず一点目の関係でございますけれども、電波法の76条の第1項に基づいて、放送局の運用停止または制限が可能でございますので、これはもうきちんと適用できる、こういうことですね。自主的な、放送事業者の自律的対応を期待するところでございますが、そうした自律的な対応ができないような場合には、やはりきちんと電波法の76条1項の適用が可能だ、これはそういうことだと思います。

 ただ、あえてまた申し上げますと、今先生もまさにおっしゃったように、このような行政処分というのは大変重たい処分でございますので、このことによって国民生活に必要な情報の提供が行われなくなったり、それから表現の自由を制約するという側面もあるということから極めて大きな社会的影響をもたらす。したがって、そうした点ももろもろ考えながら慎重にこうした問題は判断してしかるべき、このように考えているところでございます。

 それから、それではこの免許の運用の停止前に何か行政指導のようなことをできるかどうかということでございます。

 これは、我々はこれまでも、放送事業者が放送法等に違反した場合には、その程度に応じて、場合によっては警告、これは一番強い措置でございますが、それから次に厳重注意または注意ということで、再発防止のための体制整備を求める行政指導を行ってまいりました。したがいまして、こうした行政指導というのは今後も我々は行っていく考えでございます。

 今三つ申し上げました、警告、厳重注意、注意ということを申し上げましたけれども、例の「あるある大事典」の場合には警告を行ったわけでございますが、この場合は、再発防止のための取り組みが十分でなくて、放送法違反の状態を再度生ずることとなった場合には法令に基づき厳正に対処するとして、再発防止のための自主的な取り組みを強く警告によって促した、こういうことでございます。

 総務省として、今後とも放送法等に違反した事業者がいた場合には必要に応じまして適切な指導を行っていく考えでございますが、まずやはり事業者の方の自主的な取り組みということを期待したい、このように考えてございます。

 

 

 

○副大臣(平岡秀夫君) お答えいたします。

  番組準則については、放送法第3条の2第1項で規定しているわけでありますけれども、この番組準則については、我々としては法規範性を有するものであるというふうに従来から考えているところであります。

  したがいまして、放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務大臣は、業務停止命令、今回の新放送法の第174条又は電波法第76条に基づく運用停止命令を行うことができるというふうに考えているところでありますけれども、これも従来から御答弁申し上げておりますように、業務停止命令につきましては、法律の規定に違反した放送が行われたことが明らかであることに加えまして、その放送が公益を害し、放送法の目的にも反し、これを将来に向けて阻止することが必要であり、かつ同一の事業者が同様の事態を繰り返し、かつ事態発生の原因から再発防止のための措置が十分でなく、放送事業者の自主規制に期待するのでは法律を遵守した放送が確保されないと認められるといったような極めて限定的な状況にのみ行うこととしているところであり、極めて慎重な配慮の下運用すべきものであるというふうに従来から取り扱ってきているものでありまして、これまでこの業務停止命令を放送法違反を理由として適用した実績は一度もないというような状況になっているところであります。

 

○魚住裕一郎君 表現の自由は、本当に行政処分がなされるかもしれないというだけで萎縮するという、そういう本当に大事に考えなきゃいけないという案件だと思いますけれども、そういう状況の中でBPOとかつくって、本当、そこは丁寧にやってきたというふうに思うわけでございますが、行政が強権を発動して規律するべきではないというふうに考えておりまして、番組内容によって参入を規制すること、あるいは業務停止命令を行うことはあってはならないと考えますが、大臣の基本的認識をお伺いをして、質問を終わります

 

○国務大臣(片山善博君) 法律にそういう大臣の権限があるわけでありますけれども、この種の表現の自由、基本的人権にかかわることでありますから、その発動といいますのはもう極めて限定的でなければいけない、厳格な要件の下でなければいけない、こちら側の態度としては至って謙抑的でなければいけないと考えております。かつての運用もそういうことで運用してきた結果、これまで発動したことはないということだと思います。

 

○山下芳生君 まず、総務大臣に戦争と放送の痛苦の教訓について伺いたいと思います。

  昭和女子大学の竹山昭子先生が19944年にお書きになった「戦争と放送」という本があります。竹山先生は太平洋戦争中の放送を自らお聞きになられた体験をお持ちです。その先生が、戦後、東京放送、TBSにお勤めになった後、教職に就かれ、そのときに書かれたのが「戦争と放送」という本です。戦前の放送の実態を示す原典史料に当たり、また戦前のラジオ放送に直接携わった幾人かの証言を聞いて書かれたものであります。

  その中にこういう一節があるんです。1925年、大正14年にラジオ放送を開始して以来、戦前、戦中の我が国のラジオはジャーナリズムではなかった。ジャーナリズムたり得なかったと言えよう。ジャーナリズムの定義を時事的な事実や問題の報道と論評の社会的伝達活動とするならば、戦前、戦中のラジオには報道はあっても論評はなかったからである。さらにその報道も、放送局独自の取材による報道ではなく、太平洋戦争下では国策通信社である同盟通信からの配信であり、放送は政府、軍部の意思を伝える通路にすぎなかったと。これは大変重い言葉だと私は読みました。

  日本とアジアのあまたの命を奪った侵略戦争という愚かな行為に我が国の放送は深くかかわり、そして人々の考えや心情に強い影響を与えた。こうした戦前、戦中の放送の痛苦の教訓を踏まえて、1950年に制定された放送法第1条第2項には、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。」と明記をされました。この意味は極めて重いと思いますが、総務大臣の御認識を伺いたいと思います。

○国務大臣(片山善博君) そのとおりだと思います。そういうことの反省を踏まえ、教訓を踏まえて、今お触れになられました放送法の一条にある「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。」という、こういう規定が書かれたものと私も思います。

  民主主義を支える要素というのは幾つかありますが、やはりこの放送の持つ意味というのは大変大きいと思います。その放送がゆがんでいたり、それから特定の者によって支配されたりすることは民主主義を損ねるものでありますから、先ほど申し上げました第1条の目的規定というのは大変重要で、私たちは尊重しなければいけないと思います。

 

民主党の細野豪志政調会長は9日午前の記者会見で、高市早苗総務相が政治的公平を定めた放送法の違反を放送局が繰り返した場合に電波停止を命じる可能性に言及したことについて「放送法の乱用だ。電波停止に言及した意味は非常に重い」と問題視する姿勢を示した。

 

公明党の山口那津男代表は9日の記者会見で、慎重な運用が望ましいとの認識を示したうえで、「放送メディアは、国民に民主主義の基本となる情報を提供する大事な機能を営んでいる。政府側が統制を強めることには基本的には慎重であるべきだ」と述べた。

 

維新の党の今井雅人幹事長は9日の記者会見で、「法律上できるという解釈なのかもしれないが、これまで安倍晋三政権はメディアに圧力をかけている。高市氏の発言は不適切だ。もう少し政府は謙虚にならないといけない」と批判した。

 

 おおさか維新の会の馬場伸幸幹事長も9日の記者会見で、高市氏の電波停止発言に対し「一体、どういうことが違反にあたるのか。報道の自由にも関わる問題なので、きちんとした基準を提示してもらいたい」と述べた。

 

 社民党の又市征治幹事長は9日、「看過できない」とする談話を発表した。

 又市氏は、高市氏の答弁について「言論・報道の自由を萎縮しかねないものとして憂慮され、看過できない」とし、答弁の撤回を要求した。

 さらに「安倍政権に批判的とされる看板キャスターの番組降板が相次いでいる」とし、根拠を示さずに安倍政権が放送局に圧力をかけているかのような主張を展開。その上で「瀬戸際に立たされている『放送における言論・表現の自由』を擁護するために、露骨に強権的な言論統制に向かう現政権に対し全面的に対決する」と宣言した。

 

 NHK記者出身の民主党の安住淳国対委員長代理は10日午前の記者会見で、高市早苗総務相が政治的公平を定めた放送法の違反を放送局が繰り返した場合に電波停止を命じる可能性に言及したことについて「戦前の検閲制度だ。明らかに放送法を曲解している。そういう認識の人が放送法を所管しているというのはおそろしいことだ」と批判した。

 

 安倍晋三首相は10日の衆院予算委員会で、高市発言に対し、野党が「言論弾圧」などと批判していることについて、「一般論として答えたことを、気にくわない番組に適用するかのようなイメージを広げるのは、かつて『徴兵制が始まる』とか、『戦争法案』と同じ手法だ」と述べ、野党の“レッテル張り”に不快感をあらわにした。

 

 公明党の井上義久幹事長は12日の記者会見で、高市早苗総務相が、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合に電波停止を命じる可能性を繰り返し発言していることについて「担当大臣が法律の建前を繰り返し発言するのは、別の効果をもたらす可能性もあるので慎重であるべきではないか」と苦言を呈した。

 井上氏は会見で「憲法における表現の自由があり、自律的な放送事業者の判断というのが基本的に尊重されるべきだ。(法律の)具体的な運用にあたっては、放送事業者の自律性、表現の自由というものを最大限尊重するというのが基本的な立場でなければならない」と話した。

 

 共産党の小池晃政策委員長は12日の記者会見で、「放送法の基本的な理念をゆがめるとんでもない発言だ」と批判した。「安倍晋三政権の反知性主義の表れだと言わざるを得ない」とも語り、国会で徹底追及していく考えを示した。

 小池氏は放送法について、憲法21条の「表現の自由」に基づき「報道機関に権力が介入してはいかんということでつくられた法律だ」と指摘。「高市氏は放送法の政治的公平の意味を全く分かっていないのではないか。まさに介入だ」と述べた。さらに小池氏は「憲法9条を守ろうということが公平でないというわけだ。憲法99条には(国務大臣や国会議員らの)憲法擁護義務が書いてある。憲法通りにしようということが公平でないという大臣のもとで、公平かどうか判断することになったら、たいへんなことになる」と話し、「高市氏が政治的公平を決めるのか。とんでもない右にぶれた公平になっちゃうんじゃないか」とも批判した。

 

自民党の谷垣禎一幹事長は12日の会見で「深入りするとわれわれもやけどする。いい悪いをだれが判断するのか、深刻な問題だ」と指摘。

 

総務省は12日、衆院予算委員会理事懇談会で、放送法の「政治的公平性」の解釈に関する政府統一見解を示した。「一つの番組でなく、放送事業者の番組全体を見て判断する従来の解釈に何ら変更はない」と表明。高市早苗総務相が、一つの番組だけでも放送局に電波停止を命じる可能性に言及したことに関しては「番組全体を見て判断するという解釈を補充的に説明し、より明確にした」と説明した。

 その理由を見解は「『番組全体』は『一つ一つの番組の集合体』であり、一つ一つの番組を見て全体を判断するのは当然」と述べた。一つの番組を取り上げて命令する可能性がある事例として、「選挙期間中などに選挙の公平性に明らかに支障を及ぼす▽国論を二分する政治課題で一方の見解だけを支持する内容を相当の時間、繰り返し放送する」を挙げた。

こうした解釈や判断基準は、「これまでの解釈を補充的に説明し、より明確にしたもの」と説明している。

統一見解は民主党が衆院予算委員会で要求、政治的公平の判断について、「放送事業者の『番組全体を見て判断する』としてきた解釈は何ら変更はない」と明記した。

 

 統一見解について民主の山井和則・予算委理事は「国民の知る権利を妨げる検閲にもつながりかねない、深刻な政府統一見解が出てきた」として、週明けの審議で追及する考えを示した。

 

 市民団体「放送を語る会」と日本ジャーナリスト会議(JCJ)は12日、高市氏の発言に「憲法が保障する言論・表現の自由に対する許し難い攻撃だ」と抗議し、辞任を求める「共同声明」を発表した。

 

 民主党の山尾志桜里議員は2月15日衆院予算委員会での集中審議で、放送法4条と憲法21条との関係について報道の自由やメディア規制の観点から安倍総理らの見解をただした動画

 

 山尾議員は高市総務大臣が1つの番組でも政治的公平性を欠く放送をしたと政府が判断する放送局に電波の停止を命じる可能性があることを繰り返し答弁していることをめぐって、政府が提出した統一見解を取り上げて質問した。

 

政治的公平性について(政府統一見解)より

 

 山尾議員は、高市大臣がテレビ局へ電波の停止を命じる可能性に関連して、「選挙期間中に特定の候補者のみを相当の時間取り上げる特別番組を放送した場合」などを例に挙げ、「1つの番組でも認められない場合がある」と述べている事の関連して、「報道を萎縮させ、国民の知る権利を害し、憲法21条に違反しているのではないかという深刻な問題が提起されている」と指摘した。

 山尾議員は、「1つの番組でも認められない場合がある」とした高市総務大臣と「放送事業者の番組全体を見て判断する」と従来の政府見解を述べる安倍総理との答弁の不一致を整理するために求めた統一見解だったが、「あろうことか高市大臣の見解に揃えてきた」ことを驚きを持って受け止めたと述べ、「第1次安倍政権を含め、これまでどの政権でも『1つの番組でも判断し得る』という強権的な拡大解釈を示した政権はない」と指摘したうえで、解釈を変えた理由を総理にただした。

安倍総理は「従来から番組全体を見て判断するとしてきた。何ら変更はない」などと述べ、高市総務大臣の答弁について「どういう状況になれば放送法が適用されるという、一般論的な話をした」「番組全体は一つ一つの番組の集合体であり、番組全体を見て判断する際に一つひとつの番組を見て全体を判断することになるのは当然のこと」などと擁護した。

 山尾議員は「高市大臣が答弁した通り」とする安倍総理の答弁を、「大幅な拡大解釈で、憲法21条の表現の自由との抵触度合いをさらに強めるものだ」と断じた。

 山尾議員は、(憲法21条の表現の自由に関する安倍総理の認識を確認するための)「表現の自由の優越的地位」についても質問した。

これに対して、安倍総理は次々に事務方の答弁補助を受けながらも支離滅裂な答弁しかできないまま最後には「こうした予算委員会の場で私にクイズのように聞くこと自体が意味がない」と開き直った。

山尾議員は「経済的自由はたいへん重要な権利だが、国がおかしいことをすれば選挙を通じて直すことができる。でも、精神的自由、特に内心の自由はそもそも選挙の前提となる国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができないから優越的な地位にある。これは憲法で最初に習う基本だ」と安倍総理に説明。「それも知らずに言論の自由を最も大切にする安倍政権だなどと胸を張るのはやめていただきたい」と苦言を呈した。

 

 

 

 

高市氏は2月16日午前の衆院予算委員会で、民主党の奥野総一郎氏が「一連の流れは(報道の)萎縮効果を生んでいる」と追及したのに対して、「私自身に対するここ1週間くらいの報道を見ても、決してメディアは萎縮していない。報道に携わる方が矜持(きょうじ)をもって伝えるべきことを伝えている」と述べた。

 高市氏はまた、放送法4条にある「政治的公平」について、「番組全体を見て判断する。全体を見るとしても一つひとつの番組の集合体で、しっかりと見させていただく」と述べ、一つの番組だけでも同条に抵触する場合があるとの考えを改めて示した。

 

日本民間放送労働組合連合会(民放労連)は16日、高市氏「放送法4条に『法規範性がある』と考える理由や『倫理規範ではない』と断言する根拠、2015年4月に自民党がNHKとテレビ朝日の幹部を呼んで事情聴取したことを放送法違反で厳重注意する考えはないかなど5項目について、2月末までの回答を求める公開質問状を送った。

 

安倍晋三首相は2月17日、公明党の山口那津男代表と官邸で会談し、宮崎氏の問題について「ご迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝した。

山口氏は、高市氏の発言を念頭に、「慎重さを心掛けてほしい」と要請。首相も「その通りだ」と返答した。

 

高市早苗総務相は18日の衆院本会議で、共産党の梅村早江子氏の質問に答え、「過去の国会答弁を踏襲しており、撤回する必要はない」と述べた。た。

梅村氏は、憲法に基づく放送法が第4条で定めた「政治的公平性」について、放送事業者が自ら守る規範だと指摘。一つの番組のみでも違反を「政府が判断して放送事業に介入することなど断じて許されない」と述べ、総務相の発言や、それを正当化した政府見解の撤回を迫ったが、安倍首相は「指摘のような問題はないと考えている」と述べるにとどめた動画

 

  

 

 日本共産党の田村貴昭議員は2月23日の衆院総務委員会で、政治的公平性をめぐって放送局の電波停止に言及した高市早苗総務相の答弁を「憲法が保障する表現の自由、放送番組編集の自由に介入するものだ」と批判し、撤回を求めた。

 田村氏は、高市総務相が政治的公平性の適合性について、一つの番組のみでも判断しうると発言したことを指摘。自民党が2014年の衆院選直前、個別の番組をあげて放送局に「公平中立」を求める文書を送りつけるなど異例の対応をとったことをあげ、「これに大臣が呼応すれば、政権党の番組チェックの常態化につながり、放送業界に対する事実上の圧力になる」とただした。

 高市総務相は「放送事業者は自主的な努力によって編集の努力をしている。それを尊重するのが放送法。法的な規制については慎重に運用する」などと答弁するにとどまった。

 田村氏は「報道の自由を保障する観点から、放送法4条第1項は、放送局自身が自ら守るべき『倫理的規定』とするのが、憲法やメディア法の専門家の通説だ」と指摘。番組内容の政治的公平性については視聴者が判断するとして、大臣答弁と、それにもとづく政府統一見解の撤回を重ねて求めた。

 

TBSの武田信二社長は2月24日の定例記者会見で「命令が出ることはあってはならないと思う」と懸念を表明した。
 放送法の解釈については「同法の趣旨は法律に沿って放送局が自主自律の放送を行うものだと認識している。その姿勢で放送してきたし、それはこれまでと変わらない。番組内容についての行政指導や処分も望ましくないという見解も変わっていない」と強調した。

 

日本民間放送労働組合連合会が加盟する国際ジャーナリスト連盟(IFJ、本部・ブリュッセル)は2月25日、見解を発表。高市氏の発言について「日本のメディアに恐怖と威嚇をもたらすことになる。言論の自由は政府や与党によって決定されるものではないし、そうであってはならない。編集の独立に萎縮効果をもたらす発言をするのではなく、政府はメディアの自由を擁護・促進し、日本の放送局が政府の介入による威嚇や脅威を感じずに仕事ができるようにしなくてはならない」としている。

 

フジテレビの亀山千広社長は2月26日の定例会見で、「公権力の介入は抑制的であるべきだ。もちろん自ら律して、介入のすきを与えないことが大前提。決して萎縮するわけではなく、自らを守るためには自らが(放送法を)守るという気持ちは強い」と話した。

 

日本劇作家協会(坂手洋二会長)も26日、高市氏の発言について「メディアに対する規制を殊更に強調し、表現の自由を保障する現行憲法を軽視するもの」と抗議する緊急アピールを出した。「発言を撤回し、報道・メディアへの公権力の政治的立場からの介入を認めず、あらゆる表現者の自主自律を尊重する発言を国会で改めてする」ことを求めている。

 

高市総務大臣の「電波停止」発言に際し公権力のメティアへの介入・圧力に抗議する緊急アヒールpdf

 

 高市早苗総務大臣は、国会に於いて、放送局か政治的公平性を欠く放送を繰り返したと政府・大臣か 判断した場合、放送法第4条違反を理由に、電波法第76条に基づいて電波停止を命じる可能性を明言しました。

 言論・表現・報道の自由は、様々な独裁国家での圧政への抵抗、言論弾圧への批判、戦時下でのメティア規制や大本営発表の危険性という歴史の中て確立されてきたものです。

 2007年の国会では、内閣提出の放送法改定案に新たな行政処分規定か盛り込まれましたか、公権力による介入か表現の自由や知る権利を損なうとの指摘で削除され、放送界か共同で設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」による「効果的な不断の取り組みに期待する」との附帯決議かされています。当時の菅義偉総務大臣も、あくまでBPOの取り組みを主体とする旨を答弁しています。

 昨年高市大臣は「政治的に公平でないこと」を理由にNHKへの「厳重注意」を行いました。それを受け11月にBPOか公表した意見書は、NHKに対する批判と共に、政府・与党か放送法を盾に直接的にメディア規制をおこなうことを厳しく批判しました。

 政治家自身か政治的に公平・中立な立場に立つことは本来的にありえないことで、政府・公権力か特定の立場から放送に介入するのを防ぐために、放送法では「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」との規定を冒頭に掲げています。

 また時の政府や政策への問題指摘は様々なメディア行うべき責務であり、そうした指摘や批判に対し最大の利害関係者である政権自身が停波により手段を奪うことなど、あってはなりません。

 こうしたことから、放送法第4条はその広い解釈可能性の故に法規範たり得す、放送局か自らを律するための倫理規範であり、少なくとも同法第174条による業務停止や電波法第76条による電波停止の根拠にはなり得ないとするのか、法学的な通説です。またそれか、憲法に適合する唯一の合理的な法理解でしょう。

 憲法21条では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を最大限保障しています。その根幹には、人類史の中て繰り返された為政者による言論統制とその帰結への深い反省から、情報を制約するのでなく、闊達な表現活動や報道による社会の安全保障、多様な情報の自由な流通の中から正解を選びとって行く人々の力に信頼を置こうという、強い決意かあります。

 しかしながら、今回の発言は、メティアに対する規制を殊更に強調し、表現の自由を保障する現行憲法を軽視するものです。現憲法にある「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換え、それを害すると判断された場合には表現の自由を制約できるとした自民党改憲案に極めて符合するという点において、高市発言には現政権の恣意性か表れており、問題であると言わざるを得ません。

 私たちは、表現者として、憲法の根幹思想と相反するように見えるこうした政府の姿勢に強い危惧を抱きます。

 高市氏には自身の発言を撤回し、報道・メディアへの公権力の政治的立場からの介入を認めす、あらゆる表現者の自主自律を尊重する発言を国会て改めてしていただきたい。そうした自省と自覚かない場合は、 通信放送行政を担う職責にはふさわしくないため、大臣の辞任を求めます。

2016年2月26日 

一般社団法人 日本劇作家協会

 

 自民党の谷垣禎一幹事長は、27日放送のBS朝日の番組で「政治的偏向をどうするか、という判断に行政が立ち入ると難しい局面になる。私はそういうことに自民党が踏み込んでいくのは非常に慎重で、それが自民党の放送政策だと思っている」と否定的な考えを示した。

 

 高市氏は2月29日の衆院予算委員会で、放送法4条に基づく電波停止について、極めて慎重な配慮が必要だとしつつ、「一つひとつの番組の集合体が番組全体なので、一つひとつを見ることも重要だ」と述べた。放送局が政治的に公平性を欠く放送を繰り返したかの判断は、個々の番組の内容が要素になるとの考えを改めて示した。

 民主党の奥野総一郎氏は「なぜ高市答弁が大きく取り上げられるのか。従来は番組全体のバランスで判断するとしていたが、高市答弁では個別の番組でも停波をしうると変わったからだ」と指摘した。

 

 29日、高市早苗総務相が放送法4条違反を理由にテレビ局に「停波」を命じる可能性に言及したことについて、「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)の司会者田原総一朗氏や「ニュース23」(TBS系)のアンカー岸井成格氏、「報道特集」(TBS系)キャスターの金平茂紀氏らジャーナリスト6人が東京都内で会見を開き、「私たちはこの一連の発言に驚き、そして怒っている」とする声明を発表した。

 

 法学者らが3月2日、東京都内で記者会見し、「政治的公平」などを定めた放送法4条を根拠に処分を行うことは憲法違反にあたるとする「放送規制問題に関する見解を発表した。

 会見したのは樋口陽一・東大名誉教授(憲法)ら5人で、法学や政治学などの専門家でつくる「立憲デモクラシーの会」の会員。見解は「総務大臣に指揮命令される形で放送内容への介入が行われれば、放送事業者の表現活動が過度に萎縮しかねず、権限乱用のリスクも大きい」とし、漠然とした放送法4条の文言だけを根拠に処分することは「違憲との判断は免れがたい」と指摘している。

 

 高市氏は4日の閣議後会見で、「憲法上の問題はないと思っている」と述べた。

 

 3月7日、「安倍政権の『メディア規制』を許さない」シンポジウムが国会内で開かれた。「秘密保護法」廃止へ!実行委員会、日本マスコミ文化情報労組会議、秘密保護法対策弁護団の共催。

 田島泰彦上智大学教授は「今後、市民の監視、メディアの規制、憲法の改変と進めば、憲法上は情報統制も追認される」と指摘。海渡雄一弁護士は、2015年12月に延期となっている国連人権理事会による日本での調査(対象は表現の自由)が、4月に実現すると報告。2015年、放送倫理・番組向上機構(BPO)が出した意見について、「放送法に基づいて政府が番組内容を規制することは憲法違反とした」と評価した。

新聞労連の新崎盛吾委員長は、沖縄の地方紙が昨年、自民党の勉強会で「つぶせ」と攻撃されたことに触れ、「たくさんあった沖縄の地方紙で今の2紙が残ったのは県民の欲しい情報を伝えていたから。民意に偏っていたから」と語った。

 民放労連の岩崎貞明書記次長は高市総務相の一連の発言を批判。「放送法は放送内容に関わる罰則規定はない。電波法を持ってきて無理に停波しようとしている」とし、「ご都合主義を繰り返してきたのが日本の放送行政だ」と指摘した。

 

 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の川端和治委員長(弁護士)は3月16日、東京都内で開かれたBPO年次報告会で講演し、「電波停止」に関する高市総務相の発言を念頭に、「この規定(放送番組が政治的に公平であることを求めた放送法4条)に基づいて電波の停止を命じるのは、憲法が保障する表現の自由に反する」と述べた。

 川端委員長は、「制裁を受けるのではと考えて、(放送局が)萎縮することで、国民の正しい判断ができなくなる。今以上に萎縮が発生すれば、もっとひどいことになる」とも話した。

 

 民放連の井上弘会長は17日の定例会見で、高市早苗総務相の「電波停止」発言が議論を呼んでいることについて、「放送事業者は放送法以前に、民放連や各社の放送基準から逸脱しないよう努力している。(電波停止という)非常事態に至ることは、私は想像していない」と述べた。

 井上会長は、番組編集に当たっての政治的公平や事実を曲げない報道を定めた放送法4条を「大原則」と強調。その上で、「放送法は放送事業者の自主・自律を旨とする法律。番組内容に関わる行政処分や行政指導については、今までも望ましくないという言い方をしてきた」と説明した。番組と放送局を「木と森」に例え、「『木を見て森を見ず』ではなく、放送の番組全体を見て判断してほしい」とも述べた。

 また、放送法をめぐる議論に関し、「視聴者がいるという議論が抜けている。視聴者に支持されなければ意味がなく、あまりに不公平な番組を作れば、視聴者は離れていく」と指摘。放送業界に「萎縮」が広がっているとする一部指摘については「そんな雰囲気はない」と否定した。

 

 4月19日「表現の自由」に関する国連特別報告者として初めて公式に訪日した2014年に国連人権理事会から特別報告者に任命された米カリフォルニア大アーバイン校教授で国際人権法などが専門のデービッド・ケイ氏(米国)が日本での調査を終え、東京都内で記者会見した。「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」として、メディアの独立性保護や国民の知る権利促進のための対策を講じるよう政府に求めた。

 ケイ氏は日本政府の招きで11日から訪日。政府職員や国会議員、報道機関関係者やNGO関係者らの話を聞き、「特定秘密保護法や、『中立性』『公平性』を求める政府の圧力がメディアの自己検閲を生み出している」と分析。「ジャーナリストの多くが匿名を条件に面会に応じた。政治家からの間接的圧力で仕事を外され、沈黙を強いられたと訴えた」と述べた。

 放送法をめぐっては「政府に放送局を直接規制する権限を与えた放送法のうち(政治的公平性などを定めた)第4条を廃止し、政府はメディア規制から手を引くべきだ」と提言。高市早苗総務相が番組の公平性を理由に放送局の「電波停止」に言及した発言をめぐって、滞在中に高市氏との面会を希望したが「国会会期中との理由で会えなかった」と明かした。

 また、記者クラブの排他性も指摘し「記者クラブは廃止すべきだ。情報へのアクセスを制限し、メディアの独立を妨害している制度だ」と批判した。

 今回の訪日についての報告書は17年に人権理事会に提出する。

 

 非営利のジャーナリスト組織国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は4月20日、2016年の「報道の自由度ランキング」を発表した。日本は、対象の180カ国・地域のうち、前年より順位が11下がって72位だった。

 2010年、日本は過去最高の11位まで順位を上げたが、安倍政権になった途端に急落し、2015年は過去最低の61位。そして2016年は72位と、さらに順位を下げた。特定秘密保護法の施行から1年余りを経て、「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」と指摘した。世界的にも報道の自由は損なわれつつあるという。

 

 

米人権団体フリーダムハウスは4月27日、2015年の各国の「報道の自由度」を格付けした報告書を公表した。「イスラム国」(IS)など過激派組織がジャーナリストを危険にさらす中、世界全体の自由度は過去12年で最悪となった。日本の順位は、理由は示されていないが前年の41位から44位に下がり、台湾(前年48位)と並んだ。

 報告書は199の国・地域を対象に、報道への各種制約を調査して数値化した。調査で「報道の自由がある」とされる国・地域に住んでいるのは、全世界人口の13%にすぎない。

 国別ランキングの上位にはノルウェーを筆頭に北欧・西欧諸国が並び、米国は28位(同31位)、韓国は66位(同67位)。最下位は前年同様、北朝鮮だった。

 

 

放送法 関係条文

第1条(目的)

 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

 

第3条(放送番組編集の自由)

 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

 

第4条(国内放送等の放送番組の編集等)

 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

電波法第76条

 総務大臣は、免許人等がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許容時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる。

2 総務大臣は、包括免許人又は包括登録人がこの法律、放送法若しくはこれらの法律に基づく命令又はこれらに基づく処分に違反したときは、3月以内の期間を定めて、包括免許又は第27条の29第1項の規定による登録に係る無線局の新たな開設を禁止することができる。

 

 

政治的公平性に欠ける放送局への電波停止の可能性

 

問:フリーランス記者の上出です。国会で、先般いろいろ論議されました放送法第4条の関連でお伺いします。高市大臣は、極端な場合に当たるかもしれないけど、私の在任中にはないと思うというようなことをおっしゃっていました。政治的公平を欠くぐらいの偏向報道の極端な場合の、その判断の目安について御質問します。

 例えば、新聞の場合ですね、そういう法律の規定は一切変わりません。原発再稼働、憲法改正、これはいわゆる国民を2分するような問題かもしれない。ただ、例えば、フジさん、産経さんは賛成の立場、つまり、安倍政権を支持する立場を明確にされている。反対に、朝日、毎日、東京さん、具体的な名前で恐縮ですが、反対する立場を明確にされています。このような、新聞のように一貫してそういうことを示したりすると、放送局、テレビでそういうことが出ると政治的公平を欠く偏向番組となるのでしょうか。行政処分の対象となるのでしょうか。その辺のことを具体的にお聞きしたいんですね。

 

答:放送につきましては、有限希少な電波を使われるということで、活字媒体とは違った法体系になっております。

 放送法は、第1条の目的規定で、「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保するということ」を規定しています。ですから、放送番組の適正性については、基本的には放送事業者の自主自律によって確保されるべきものでございます。

 また、放送法上、「放送事業者は、放送番組の編集の基準を定め、これにしたがって放送番組の編集をすること」と第5条第1項に規定されています。また、「放送事業者は、放送番組審議機関を設置し、そこで放送番組の適正を図るために必要な事項を審議すること」が第6条に規定されています。つまり、放送事業者の自主自律によって、放送番組の適正を図るということが規定されています。

 総務大臣としましては、このような取組にもかかわらず、必要な場合に応じて、放送事業者からの事実関係を含めた報告を踏まえて、放送法を所管する立場から必要な対応を行うものだと考えています。

 先ほど、第4条ということでの御質問だと思いますが、政治的公平などの番組準則は放送法第4条で規定されていまして、従来から、これは法規範性を有するものというのが総務省の考え方です。これは、民主党政権の時にも、その前の自民党政権の時にも、そのように答弁をしております。

 したがって、放送事業者が番組準則に違反された場合には、総務大臣は放送法第174条に基づく業務停止命令、電波法第76条に基づく運用停止命令を行うことができるというのが、法律の規定でございます。ただし、放送法第174条に規定されています業務停止命令というのは、「ソフト事業者」を対象としたものでございます。 

 一方、電波法第76条の方は、これは、「特定地上基幹放送事業者」を対象としたものでございます。

 先般の予算委員会でも答弁しましたし、前回の記者会見でも申し上げましたけれども、こういった法令に基づく命令につきましては、「法律の規定に違反した放送が行われたことが明らかであること」に加えて、「その放送が公益を害し、放送法の目的にも反し、これを将来に向けて阻止することが必要であり」、かつ、「同一の事業者が同様の事態を繰り返し、かつ事態発生の原因から再発防止のための措置が十分でなく、放送事業者の自主規制に期待するのでは、法律遵守した放送が確保されないと認められる」場合でございます。

 極めて限定的な状況のみに行うということにしており、慎重な配慮のもと、運用すべきであると考えています。

 いろいろな御意見が放送で披露されていますけれども、これまで放送法第4条違反として「命令」をした事例はございません。

 

問:同じ閣僚でも石破大臣などはですね、こういった、気に入らないから統制するようなことというのは、民主主義とメディアの関係をおかしくすると。明らかに高市大臣とはちょっと違うニュアンスですね、言っておられます。そして、現実に、先ほど新聞の例を挙げましたが、新聞の報道をそのままテレビでやったとしても、それぞれマスメディアの方たちは、それぞれ良識で世論に反対する意見も載せていますし、主張は明確ではあるけれども、それで国民に何か偏向というような感じで影響を与えるとも思えませんし、そもそも放送法第1条の表現の自由と民主主義を守るということが、放送法の根幹だと思うのです。あんまり、アメリカなんかでは、公平準則はございませんし、そういうふうなことはあまり法律で決めない方がよろしいのではないかと思うのですが、今のままで、新聞のような報道をしても、私は、テレビ局は問題ないと考えますが、いかがですか。

答:新聞に載っていることをテレビ局が報道しておられるのは、ほぼ毎日のように、各媒体に、こんなことが出ていますよということを紹介しておられる番組があるのを承知しております。それは、何も問題がないと思います。

 石破大臣がどういう表現をされたのか、私はその場にいませんので分かりませんが、仮に今おっしゃったように、「気に入らないから統制する」ということをおっしゃったとしたら、大変心外でございます。私は「気に入らないから統制する」ということを申し上げたことは一度もございませんし、そういったことはあってはなりません。

 私たち閣僚や国会議員には、憲法遵守義務がございます。憲法第21条に「表現の自由」が規定されております。しかしながら、この憲法が保障する自由、権利、これは公共の福祉のために用いるべきことも規定されています。放送法も、各条文とも憲法に沿った形で、つまり、憲法に反した内容の法律であれば、これは違憲立法となってしまいますから、私たちは憲法を守り、そして、憲法に合致した形で規定された法律をしっかり守っていく、そういう立場になると存じます。

 決して、「気に入らないから統制する」というようなことを申し上げたこともありません。

 そして、度々、「高市大臣がまた電波の停止に言及」といったようなことを報道されていますけれども、予算委員会で電波法について聞かれた場合に、「全く電波法については答弁できません」と、私が申し上げるわけにはいきませんので、これは答弁いたします。実際にある法律ですから、現存する法律ですから、現存する法律を全くこれは否定すると、この法律はおかしいという答弁を現職閣僚がするわけにはまいりませんので、電波法について聞かれた場合には、誠実に事実関係を答弁する。しかも、行政の継続性というものが必要ですから、過去の総務大臣や副大臣の、これは政権交代前の答弁から私は持っておりますので、そういったもので整合性がきちんととれるように、法律に関しては答弁をしている。これは当然のことだと思っております。

 

問:IWJの阿部と申します。放送法に関連して質問をお願いします。高市大臣がおっしゃるとおり、放送法が法規範性を持つものであり、総務省は放送事業者に対して業務停止命令を行うことができるのだとしたら、放送法第1条の2項が定める「放送による表現の自由を確保する。」、放送法第3条に定める「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」。先ほども出ましたが、憲法21条に定める表現の自由に違反するものになります。この矛盾に対して、どう説明されますか。お願いします。

答:今、まさに第3条を読み上げてくださいました。「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」ということでございます。「法律に定める権限」というものは、放送法に書き込まれてあり、また、電波法にも書き込まれてある内容であると存じます。

 

高市総務大臣の「電波停止」発言に厳重に抗議し、大臣の辞任を要求する

 

2016年2月12日                             放送を語る会                              日本ジャーナリスト会議

                           

 2月8日と9日、高市早苗総務大臣は、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法第4条違反を理由に、電波法第76条に基づいて電波停止を命じる可能性を表明した。

「国論を二分する問題について一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを繰り返す放送」など、さまざまな条件・留保をつけての答弁であるが、この主張の核心は、権力が放送における言論、報道の内容を審査し、その内容によって行政処分ができるというものである。憲法が保障する言論・表現の自由にたいする許しがたい攻撃だと言わなければならない。

 このような主張を持つ人物が、放送を所管する総務大臣の職にあることを到底認めることができない。高市大臣は速やかに職を辞すべきである。

 高市大臣は、電波停止処分は放送法第4条の「政治的に公平であること」に違反する場合だとする。しかし、多くのメディア法学者が一致して主張するように、この規定は放送事業者が自律的に実現すべき性格の倫理規定である。

 放送法は、放送事業者に不偏不党を保障し、表現の自由を確保することを目的に掲げている。特定の政治的勢力の不当な介入を排除する趣旨であり、それを保障するため放送法は第3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」としているのである。

 このような精神をもつ放送法が、「政治的に公正であるかどうか」を行政の判断に委ね、処分を認めるはずがない。

 もし高市大臣が主張するような停波処分が可能であるとすれば、その判断に時の総務大臣の主義、思想が反映することは避けられない。

 仮に高市大臣が判断するとした場合、氏はかつて「原発事故で死んだ人はひとりもいない」と発言して批判をあび、ネオナチ団体代表とツーショットの写真が話題となり、また日中戦争を自衛のための戦争だとして、その侵略性を否定したと伝えられたこともある政治家である。このような政治家が放送内容を「公平であるかどうか」判定することになる。

 時の大臣が、放送法第4条を根拠に電波停止の行政処分ができる、などという主張がいかに危険なことかは明らかである。

 政府の行為や政策が批判すべきものである場合、放送による報道が批判的な色彩を強めることは自然である。今回の高市大臣の発言は、安保法への批判の高まりを意識して、そうした報道を牽制する意図があると評されても否定できないであろう。

 高市大臣の発言を安倍首相も菅官房長官も擁護した。このことは現政権がテレビ報道に対し高圧的、抑圧的であることを改めて示した。

 我々は、このような総務大臣と政権の、憲法を無視し、放送法の精神に反する発言に厳重に抗議し、高市大臣の辞任を強く求めるものである。

 

 

 

報道の自由 国民の知る権利のために(2016年6月12日配信『西日本新聞』−「社説」)

 

 日本の報道の自由が脅かされているとの厳しい指摘が海外から相次いだ。特定秘密保護法の制定などを背景に、報道側が萎縮したり自主規制したりすることへの懸念である。報道に携わる側としても警告を真剣に受け止めたい。

 国連の特別報告者として日本の言論・報道の自由の現状を調査したデービッド・ケイ米カリフォルニア大アーバイン校教授は「日本の報道機関の独立性は深刻な脅威にさらされている」と述べた。

 ケイ氏は特定秘密保護法で記者と情報源が罰則を適用される恐れがあると指摘した。高市早苗総務相が、政治的公平ではないと判断すれば放送局に電波停止を命じる可能性があると言及している問題も、「メディア規制の脅しと受け止められている」と批判した。

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が発表した報道の自由度ランキングで、日本は180カ国・地域の中で72位と前年より11ランク下がった。ここでも特定秘密保護法を「定義が曖昧な国家機密が厳しい法律で守られている」と問題視している。

 両者が心配するのは報道機関の独立性だ。国境なき記者団は「調査報道に二の足を踏むことや、記事の一部削除、掲載や放映を見合わせる自主規制に多くのメディアが陥っている」と報告した。

 菅義偉官房長官は「報道が萎縮するような事態は全く生じていない」と反論した。そうだろうか。高市氏の発言に限らず、自民党の勉強会で出た「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」との暴言を思い出す。

 言うまでもなく、憲法は基本的人権として報道の自由を含めて表現の自由を保障する。国民の知る権利を守るためだ。その基本的人権も安泰とはいえない。自民党の憲法改正草案では「公益及(およ)び公の秩序を害する」と判断した場合、表現の自由は制限されるとする。

 私たち報道機関には権力が暴走しないよう監視する役割と責任がある。海外からの指摘も重く受け止め、報道の自由の意義を再認識したい。

 

国際NGO「国境なき記者団」が発表(2016年5月16日配信『福井新聞』−「越山若水」)

 

 国際NGO「国境なき記者団」が発表した2016年「報道の自由度ランキング」によると、日本は180カ国で72位。前年の61位よりさらに11ランクも後退した

▼10年には11位の好位置だったが、毎年順位を落としている。その理由を同NGOは「安倍晋三首相への批判などでメディアの独立性を失っている」と説明した

▼そう言えば、首相は13年に特定秘密保護法を強引に成立させた。翌年の師走総選挙前にはテレビ局の報道が意図的であると異議を唱え、公正・客観報道を要求した

▼言論統制に拍車をかける行動といえるが、NGOが指摘するように日本の報道はそれ以後「自己検閲の状況に陥っている」ように見える。案の定13年の世界ランクは53位に、翌年は59位へと低下した

▼さて首相がお望みの客観報道について、解剖学者の養老孟司さんは「公平・客観・中立に徹することでは報道にならない。人間が欲するものは、実は事実ではない」と言う

▼例えばダイアナ事件は殺人か事故か、客観報道では結論を出せない。一方で推理小説に推測が交じっていても頭から真実だと信じる人はいないだろう

▼養老さんは「希望とは自分が変わること」(新潮社)で客観的事実は「神のみぞ知る」こと、推理推論から生まれるマコトもあると指摘する。メディアはバランス主義や自己規制で自らの首を絞めてはいけない。

 

表現の自由(2016年4月25日配信『山口新聞』−「四季風」)

 

春がすみというくらいだから、ぼうっと薄い雲のようなものがかかっているのがこの季節だろうが、この春はすっきりしないことがまだある

▼春先、放送法に違反した場合、放送局に電波停止を命じる可能性がある、と衆院予算委で高市総務相が発言。背景には、報道内容に神経をとがらせてきた政権の姿勢がある

▼”強気“が顕著になってきたのは一昨年、首相がテレビ番組で報道の公平性に疑問を投げ掛けたころから。その後自民党は、テレビ各局に選挙報道で中立を求める文書を送付

▼昨年の今ごろは、同党調査会が、番組内容についてNHKとテレビ朝日に事情聴取。同党の勉強会では、マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番、などとの発言も出た

▼国民の知る権利を補完する報道にこうした動きがあるなか、「表現の自由に」関する国連の調査で、「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」との報告があった

▼国際NGOの発表では、日本の報道の自由度は、特定秘密保護法などの影響で「自己検閲の状況にある」として今年、大幅に順位を下げた。「報道が萎縮するような実態は全く生じていないのではないか」と菅官房長官。さて、どうだろう?

 

「政府は放送法4条を廃止すべき」(2016年4月23日配信『日刊スポーツ』―「政界地獄耳」)

   

★国際連合広報センターは「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連特別報告者ディビッド・ケイが日本政府に対し、メディアの独立性保護と国民の知る権利促進のための対策を緊急に講じるよう要請したというリポートを19日に掲載。「日本は報道の自由を明確に保護した憲法に当然の誇りを持っている。にもかかわらず、報道の独立性は重大な脅威に直面している」と警鐘を鳴らしている。

★また「脆弱(ぜいじゃく)な法的保護、新たに採択された『特定秘密保護法』、そして政府による『中立性』と『公平性』への絶え間ない圧力が、高いレベルの自己検閲を生み出しているように見える」とし「多くのジャーナリストが、自身の生活を守るために匿名を条件に私との面会に応じたが、国民的関心事の扱いの微妙な部分を避けなければならない圧力の存在を浮かび上がらせ、多くが有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えている」。

★放送に関しても「1950年に制定され政府に放送メディアを規制する直接的な権限を与えた『放送法』は、4条において、ジャーナリストの職業的義務と放送免許の取り消しを行う政府権限を混同している。政府は放送法4条を廃止し、メディア規制から手を引くべき」と指摘。国会の法務委員会の委員と面会し、ヘイトスピーチの法規制に関して「日本は広範囲に適用できる差別禁止法を採択しなければならない。ヘイトスピーチに対する答えは、まず差別行為を禁止する法律を制定することで、差別との闘いに真の影響をもたらすようになるだろう」と続け「ネット上の自由の分野で、デジタルの自由への政府の介入度合いが極めて低いことは、表現の自由に対する政府のコミットメントの表れ」と評価した。国連へのリポート提出は来年になる。

 

米国経験」高市の不誠実(2016年4月22日配信『日刊スポーツ』―「政界地獄耳」)

   

★政治家の発言はまさにブーメランだ。元杉並区長・山田宏は政治ができればどんな党でも構わないらしい。振り出しは新自由クラブ。それから自民党、日本新党、新進党を経て日本創新党を設立し党首に。日本維新の会、次世代の党幹事長。今は自民党参院比例候補だ。3月31日、自民党の東京都連の会合において、待機児童問題をめぐる「保育園落ちた日本死ね」ブログを「落書き」とし、「私にしてみれば、『産んだのはあなたでしょう。(育児は)親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ」と発言し話題となった。

★すると週刊文春が山田の「愛人と隠し子を妻が告白」と報じた。山田は子育てについて自著「第3の道」で「正しい生き方を自信を持って子供に伝えるには、親自身が胸を張って、正しいと言える生き方をしなくては」と書いている。自民党では既に参院選公認候補の候補者だった元東京都教育委員・乙武洋匡が複数の愛人との交遊が伝えられ出馬を見送ることにしている。いずれも発言と行動に大きな隔たりがあることに有権者の理解が得られないのではないか。

★同様にその行動と発言に大きな隔たりを感じるのが総務相・高市早苗だ。高市は米国で「アメリカ合衆国議会立法調査官(コングレッショナル・フェロー)」を経験したという。その経歴自体を問う声もあるが、それよりも、米国での経験を生かした政治活動をしているのならば、「国は放送局に対して電波停止できる」という考えについて国連人権理事会から「特別報告者」として調査に来たデビッド・ケイ・米カリフォルニア大アーバイン校教授の面会要請に対して、会期中の公務多忙を理由に拒否した不誠実さには閉口する。

 

自由な言論空間を守る 春の新聞週間を前に(2016年4月5日配信『東京新聞』−「社説」)

 

 春の新聞週間が6日から始まる。夏には参院選。安倍晋三首相は在任中の憲法改正にも意欲を示している。メディアの役割がより重要なときとなろう。

 「あなたの言うことに全く賛成できないが、あなたがそのように言う権利があることは、私は命をかけて守る」

 こんな名言がある。フランスの思想家ボルテールが言ったともいう。自分に反対の意見であれ、尊重されねばならない。「表現の自由」の核心を突いている。

 とくに主権者たる国民は意見を持ち、選挙で国政に反映させようとする。その判断をするためにも、多様な意見が大事だ。

 自己規制なら敗北だ

 自由な言論空間は果たして確保されているだろうか。それに疑問を投げかける出来事があった。

 高市早苗総務相が、政治的公平性を欠いた放送をした放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及した件だ。これに対する波紋が大きく広がった。

 田原総一朗氏や鳥越俊太郎氏らキャスター有志が2月末、記者会見を開き、「電波停止発言は憲法、放送法の精神に反している」という声明を発表したのだ。

 同法は「放送による表現の自由を確保する」「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」などを第一条で定める。気になるのは声明の次のくだりだ。

 <現在のテレビ報道を取り巻く環境が著しく「息苦しさ」を増していないか><「外から」の放送への介入・干渉によってもたらされた「息苦しさ」ならば跳ね返すこともできよう。だが、自主規制、忖度(そんたく)、萎縮が放送現場の「内部から」拡(ひろ)がることになっては、危機は一層深刻である>

 キャスター有志は外からの介入・干渉というよりも、放送現場の自主規制に危機感を持つのだ。

 「政権がチェックする」

 例えば、デモを警戒している権力に気を使って、デモの批判的な映像を自粛する。今まで当然のようにやってきた掘り下げた問題提起は、政権批判と受け取られかねないので自粛する−。

 街頭取材では、政権と同じ考えを話してくれる人を探して放送する−。そんな現場の声も聞かれるという。つまり自主規制や政権を忖度したような報道がなされはしないか。そんな息苦しさがテレビ・メディアの中に生まれてはいないか。

 民主主義の根幹をなす、国民の「知る権利」から考えれば、放送はむろん政府のものではなく、たんに株主たちのものでもない。広く国民のものといえよう。もし、放送局の姿勢が揺らいでいるなら、それだけで国民は情報に対して疑心暗鬼に陥るだろう。

 これはテレビ・ジャーナリズムだけの問題なのか。鳥越氏は記者会見でこう語った。

 「メディアが政権をチェックするのではなく、政権がメディアをチェックする時代になっている。負けられない戦いで、負ければ戦前のような大本営発表になる」

 政権がメディアをチェックする時代−。本来、権力はメディアに対して、特定の考えを押しつけることはできないし、メディアの自由な活動に介入することはもちろん許されない。今やまさに、「表現の自由」の領域が侵されつつあるのではないか。

 自民党の憲法改正草案を見てみよう。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める憲法条文に、こんな規定を加えている。

 <前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない>

 つまり、政府や国会、司法が「公の秩序を害する」と判断したときは、言論も集会なども禁止される。そうならば「表現の自由」が否定されるのと同然ではないか。大日本帝国憲法にも、言論や集会、結社の自由を定めた条文があった。ただし、それには「法律ノ範囲内ニ於テ」という一文が付いていた。言論の自由は国民の権利だが、法律で例外をつくることができたわけだ。

 自民党の草案にある「公の秩序」の言葉も同じ役目を果たす。原発反対や米軍基地反対、安保法制反対…、さまざまな声が「公の秩序を害する」と判断されれば、封印することもできる。

 言論や思想が政府の統制下にあった時代がもしや蘇(よみがえ)りはしないか。そんな不安がよぎる時代になった。

 権力には猜疑心を持て

 そもそも権力という存在自体が信頼を寄せるものではなくて、常に猜疑(さいぎ)心を持って監視せねばならない対象である。

 その監視役の一人として、私たちメディアは存在することをあらためて自覚したい。

 

(2016年4月5日配信『高知新聞』−「小社会」)

 

 詩人で画家でもある辻まことは大正初期、ダダイスト辻潤と女性解放運動家の伊藤野枝の間に生まれた。母は関東大震災の直後、無政府主義者の大杉栄とともに憲兵隊に虐殺されている。

 そんな経歴からか、まことの画文集「虫類図譜」は、政治や経済、文化、風俗を虫に見立てて辛辣(しんらつ)に批評する。〈防衛〉は「この甲虫は恐怖からわいた」。〈愛国心〉「悪質きわまる虫」。〈組合〉は「骨がない」など…。

われわれの属するマスコミという虫にも容赦はない。「原種は井戸端、床屋、浮世風呂に見られたが、後に大家の隠居部屋で半痴愚種が育てられた」。耳が痛い比喩だ。

 今、メディアの中でも特に元気のなさが目立つのは、NHKや民放キー局の報道番組。安倍政権は意に沿わない内容の番組を、「偏向」と決めつけるかのような空気がある。自民党が放送局の幹部を呼びつけて事情聴取したり、総務相が電波停止を命じる可能性に言及したりするのは異常だ。

 そんな中、週刊文春と週刊新潮が、政治家や著名人の疑惑を続々とあばき、奮闘している。週刊誌と新聞の違いはあれど、面白くていい記事はやはり読まれる。こちらも負けてはいられない。

 新聞の出自は井戸端会議のようなものかもしれないが、現代では民主主義を支える大事な役目を負っている。萎縮の虫などは蹴散らし、権力に迎合することなく骨っぽくありたい。あすは「新聞をヨム日」。

 

電波停止問題 視聴者の厳しい目を(2016年3月15日配信『信濃毎日新聞』−「社説」)

 

 高市早苗総務相の電波停止発言をめぐり、政府が強気の姿勢を続けている。放送内容が政治的に公平でないと政府が判断するときは停止を命ずることもあり得る、とした発言だ。

 テレビ局側が萎縮し、政府に擦り寄る番組ばかりにならないか心配になる。視聴者として問題の今後を厳しく見守ろう。

 発言は2月8日の衆院予算委で飛び出した。

 「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり(停止の)可能性が全くないとは言えない」

 表現の自由を保障した憲法、放送の自由をうたう放送法に照らし問題の多い発言だった。政治的公平を政治家である総務相が判断すること自体、矛盾している。

 国会でもこの間、野党から繰り返し追及された。政府は高姿勢の答弁を続けている。

 一つの番組だけでも電波停止があり得るのではないか、と野党議員から問われると、高市総務相は「放送局の番組全体は一つ一つの番組の集合体だ。一つ一つの番組を見なければ全体の判断はできない」。安倍晋三首相も総務相発言を追認した。

 前回の衆院選の前、首相がテレビ番組に出演し、街頭インタビューで政府に批判的な声が多く紹介されたことに対して「選んでますね。おかしいじゃないですか」とかみついたことを思い出す。

 個別の番組に政府が目を光らせ、処分をちらつかせるようでは放送の自由は成り立たない。国民の知る権利が損なわれる。総務相の「一つ一つ」発言を容認するわけにはいかない。

 総務相の発言に対し、民放労組やメディア法研究者からは今も抗議や批判が続いている。

 経営側の声が弱いのが気掛かりだ。トップが定例記者会見などで「電波停止はあってはならないこと」「これまで通り放送法を順守していく」などと述べているものの、業界を通じた大きな流れになっていない。

 NHKの籾井勝人会長は「公平公正であったかどうかは、見ておられる皆さんが判断される」と発言している。

 本来ならNHKと民放共同で抗議声明を出したり、番組によるキャンペーンを考えたりしてもいい場面である。政治からの圧力を押し返すには、総務相発言の問題点を視聴者に分かりやすく伝えて理解を得ることだ。毅然(きぜん)とした対応をNHKと民放各社に求める。

 

『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』(2016年3月13日配信『しんぶん赤旗』−「潮流」)

 

米紙ニューヨーク・タイムズの前東京支局長マーティン・ファクラー氏は、支局長になって首相官邸の報道担当者にあいさつに行った際のエピソードを近著で紹介しています

▼猛烈な勢いで難詰してきた担当者。前任支局長は政権に批判的すぎた。官邸から取材の協力が欲しければ前任者と違う報道をする旨を文書で提出するように―。そんなことまで求められたといいます(『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』)

▼当時は麻生政権。安倍政権では、総務相が「電波停止」発言で公然と放送局を威嚇するまでにメディア圧力は激化しました。国内でも批判が強まっていますが、海外からも厳しい目が注がれています。米紙ワシントン・ポストは社説で苦言を呈しています

▼圧力の背景には「メディアへの首相のいらだち」がある。「アベノミクス」の結果は、2015年10〜12月期のGDP(国内総生産)成長率でもマイナス。国民は不安を感じ、支持率は低下―。安倍首相は「都合の悪いニュースに囲まれている」

▼戦後日本で最も誇れる功績は経済的な「奇跡」でなく、独立した報道機関など自由な社会制度であり、「それを犠牲にしてまで達成すべき目標などない」。社説の見出しは「都合の悪いニュースを押しつぶす」。痛烈です

▼憲法は言論・表現の自由を保障しています。安倍政権の姿勢の根底には、この憲法の破壊を当然視する異常さがあります。同時にメディア圧力は、政権を包囲する国民の怒りに対する悪あがきでもあります。

 

 

2012年末に第2次安倍政権が誕生してから早や3年。その間、大きく変わったことが権力とメディアの関係だ。朝日新聞に代表される政権に批判的な大手メディアはなぜ軒並み”大人しく”なったのか。その背景には安倍政権の巧みなメディアコントロールと、ネットによる大転換期に対応できず組織防衛に走る既存メディアの腰砕けぶりがあった――。前ニューヨーク・タイムズ東京支局長の著者が明らかにする「世界から見たアベ・ジャパン」の真実。

 

表現の自由が脅かされる(2016年3月8日配信『朝日新聞』−「天声人語」)

 

 故ウォルター・クロンカイト氏といえば、米CBSテレビのキャスターを19年間つとめた伝説のジャーナリストだ。番組でベトナム戦争に反対を表明し、政権に大きな影響を与えた。1981年に降板。当時、新聞記者を志す学生にも輝ける存在だった

▼その硬骨漢にして、一度だけ圧力を受け、妥協したことがあった。生前、本紙の取材に語っている。72年、ウォーターゲート事件を報じた番組にニクソン大統領周辺が激怒し、局の首脳部に続報の中止を要求してきたという

▼ニクソン再選のかかった大統領選の投票日が迫っていた。続報の長さを半分にする妥協案が出された。番組の編集責任者でもあったクロンカイト氏は強く反対したが、意志を貫くことはできなかった。「後悔している」と振り返っている

▼権力の介入に抵抗し、表現の自由を守ることの大切さを改めて思う。放送局に電波停止を命じる可能性に高市総務相が言及したことに対し、「立憲デモクラシーの会」の憲法学者らが発表した見解は説得力に富む

▼放送法は確かに政治的な公平性を求めているが、それは局の自主的規律に委ねられるというのが通説だ。特定の政党に属し、政党政治の当事者である総務相が、政治的に公平かどうかを判断するのは本来おかしい。その立場で処分を行うなら、憲法違反との批判は免れない、と

▼政権に批判的な言説などを「偏っている」の一語で指弾する風潮が続く。表現の自由への脅威に抗するのに、テレビも新聞もない。

 

「停波」発言 放送局の姿勢を見たい(2016年3月7日配信『朝日新聞』−「社説」)

 

 政治的に公平でない番組を繰り返し流した場合、時の総務大臣の判断で、放送局に電波停止を命じることもありうる――。

 高市早苗総務相が、こう繰り返し表明している。これまでの総務大臣も同様のことを述べてきた、とも言っている。放送関係者や法学者らによる批判声明が相次いでいるが、考えを変えるつもりはないという。

 高市氏は放送法の意義を理解していない。放送法の精神は、憲法が保障する表現の自由を確保することにある。

 様々に解釈できる「政治的公平」を定めた第4条を、停波という処分と結びつけるべきではない。番組が政治的に公平か否か、自身も政治家である大臣が判断することには矛盾がある。

 いまの自民党は、番組内容にまで踏み込み、威圧ともとれる「要望」や「事情聴取」などでテレビへの干渉を強めている。そんな政権党の大臣が「停波」を口にすることは、放送の自由への圧力と受け止められる。

 心配なのは、テレビ報道に萎縮が広がることだ。

 「上から無言のプレッシャーがある」「自主規制や忖度(そんたく)によって萎縮が蔓延(まんえん)している」。現場にはそんな声があるという。政権から「公平ではない」と言われるのを恐れて報道が手ぬるくなれば、民主主義社会の基本である国民の知る権利の足元が掘り崩される。

 実際は萎縮していないとしても、視聴者が「政権の意に沿った放送だろう」と疑えば、テレビ報道は信頼を失う。高市氏の発言は結果として、こうした疑念を膨らませている。社会にとって大きな損失である。

 在京キー局のトップはみな、記者会見で高市氏の発言について問われ、「放送は自主自律」と答えている。その覚悟を具体的に示してほしい。

 すでに、この問題を掘り下げて、視聴者に考える材料を提供しながら、自らの姿勢を示した報道番組もある。だが、そうした動きは一部にとどまり、広がりが見えない。

 春の番組改編で、政権に厳しくものを言ってきたキャスターが次々と交代することもあり、視聴者は今後の報道姿勢を注目している。テレビ局は報道の担い手として、自分たちの考え方を、もっと積極的に直接視聴者に伝えたらどうだろうか。

 放送法第1条には「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」とある。それをどう実践しているのか、分かりやすく見せてほしい。

 

あすへのとびら 何のための放送法か 国民主権を確かにする(2016年2月18日配信『信濃毎日新聞』−「社説」)

 

 高市早苗総務相の発言を糸口に、放送法について考えてみたい。8日の衆院予算委での答弁だ。

 「行政が何度要請しても全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり(電波停止処分の)可能性が全くないとは言えない」

 安倍晋三政権に批判的とされるキャスターの番組降板が相次いでいる問題を野党議員が取り上げた。番組が政治的公平を欠くと政府が判断しただけで「電波停止が起こり得るのではないか」、との質問への答えである。

   <制定経緯を振り返る>

 放送法は4条で、番組編集の四つの基準の一つに「政治的に公平であること」を挙げている。電波法76条は、テレビ局が放送法に違反したときは電波の停止を命ずることができると定めている。

 条文の限りでは、総務相が言う通り、4条違反を理由にして電波を止めることができると読み取れないでもない。

 それは正しい解釈なのか。答えは「ノー」だ。

 放送法が制定された経緯を振り返る。成立したのは日本が占領下にあった1950年。電波行政の基本を定める電波法とセットだった。政府から離れた立場で電波行政をかじ取りする電波監理委員会の設置法と合わせ「電波三法」と呼ばれた。

 日本政府はこのとき、放送を戦前、戦中と同様に政府の管理下に置く仕組みを作ろうとした。だが連合国軍総司令部(GHQ)は放送の自由を保障するよう求める文書を政府に突きつけた。担当者の名前をとって「ファイスナー・メモ」と呼ばれる。このメモが放送法のベースになった。

 ファイスナー氏は占領が終わった後も日本にとどまり、2010年に宮城県の自宅で死去している。99歳だった。

 放送法は1条で法の目的に「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」を掲げている。この規定は憲法21条「集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と響き合う。

 憲法が国民に対し表現の自由を保障する理由は何か。国民が自由にものを言えないようでは民主主義が成り立たないからだ。

 放送は国民主権を確かなものにするためにある。政府の道具ではない。4条の基準は放送の国民に対する約束、自らを律する倫理規範と考えるべきだ。4条違反を理由に政府が放送局を処分するのは法の趣旨を逸脱する。

 以上は憲法やメディア法研究者の常識になっている。そう考えないと憲法と整合性がとれない。政府もかつては国会答弁で、放送法違反による処分は難しいとの判断を示していた。

 政府は1960年代から放送への介入姿勢を強めてきた。社会派ドラマやドキュメンタリーが番組表から消えていった。68年には北爆下の北ベトナムに入ってリポートしたTBSのキャスター、田(でん)英夫氏を降板させている。

 自民党は昨年4月、「やらせ」問題などでNHKと民放の幹部を党本部に呼び事情聴取した。「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない」と定めた放送法3条に照らし、問題の多い行為だった。

 放送に対しては多くの国で法的規制がある。根拠の一つには、放送メディアの影響力の大きいことが挙げられる。

 ラジオが普及し始めた1930年代にジャーナリストの長谷川如是閑(にょぜかん)が書いている。「ラジオは意識の統一の道具としては、印刷物の到底もち得ざる有利の条件をもっている」。支配階級はラジオを通じ「その統制をほしいままにすることを得る」。

 ナチスはラジオの力を最大限に使って政権を握ったのだった。

 世界には放送が権力者の道具になっている国が多い。戦前、戦中の日本がそうだった。歴史の反省を踏まえ、電波を国民のものにしておくために放送法は定められた。そう考えるべきだ。

   <第三者機関をつくれ>

 政府、自民党による介入の根っこには放送に関する権限を政府が握っている事実がある。政府が放送を監督下に置く国は先進国では少ない。国立国会図書館の07年の調査リポートも、主要国では「放送の規制監督は政府から一定の独立性をもった組織が担うのが一般的」と書いている。

 政府が電波停止の可能性を持ちだして放送局を脅すようでは、放送の自律は難しい。放送を政治から切り離すために、日本の独立回復とともに廃止された電波監理委員会を時代に合った新しい形で復活させることを考えよう。

 

熱血!与良政談;再び「高市発言」について=与良正男(2015年6月24日配信『毎日新聞』―「夕刊」)

 

 放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる可能性に触れた高市早苗総務相の発言について再び書く。

 先週の本欄で、電波停止は法律上は可能だと認めながらも、表現の自由の制約など大きな社会的影響をもたらすから「慎重に判断してしかるべきだ」と強調した2007年当時の増田寛也総務相の答弁と高市氏との違いは明らかだ−−と書いた。

 これに対して高市氏から、答弁は増田氏らの過去の国会答弁と「同様の主旨」であり、「違いは明らかというご指摘は誤りですので、訂正記事のご掲載を賜れば幸いです」とする文書をもらった。高市氏は国会でも「従来と変わらない」と繰り返している。それがなぜ批判されるのか分からない、という反論である。

 高市氏は電波停止命令に関して9日の衆院予算委員会で「極めて慎重な配慮の下、運用すべきでございます」等々と答弁した点を文書で記している。その答弁は承知している。

 だが私が問題にしているのは、一連の報道の契機となった前日8日の予算委で述べた「私の時に(電波停止)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」「行政指導してもまったく改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、何の対応もしないというわけにはいかない」などの発言だ。それが増田氏との明らかな違いである。

 これまでの経緯もある。前回の衆院選前、自民党がゲスト選びなど細かく項目をあげ公正な選挙報道を要請する文書をテレビ局に渡したのをはじめ、安倍政権は歴代政権と比べ放送への介入が著しく目立つからだ。

 9日の「慎重な配慮」答弁だけを繰り返していたのなら、私は本欄で取り上げなかったろう。だが、強大な権限を持つ総務相だからこそ抑制的になってほしいと私は願うのだ。

 1950年に放送法ができた時には米国にならい、放送は電波監理委員会という独立行政機関が所管していた。ところが2年後、委員会は廃止され今に至る。放送の自律を守り、政権の恣意(しい)的判断を防ぐためにどうするか。これを機に与野党でもう一度議論したらどうだろう。

 高市氏も言い足りない点はあろうから、私と徹底討論するというのはどうでしょう。

 

“功績”(2016年2月23日配信『しんぶん赤旗』−「潮流」)

 

俳優の斎藤工(たくみ)さんが、ある番組で「安倍首相の“功績”は若い人を目覚めさせたこと」という趣旨を話していました。同様に高市早苗総務相の“功績”は、「表現の自由」への関心を呼び起こしたことといえるかもしれません

▼各紙が高市総務相の“電波停止発言”をめぐり、放送法の特集をしています。本紙でも「『放送の自由』とは何か?」を連載。放送法の眼目が、放送の政府からの独立にあることを見つめました

▼高市総務相が放送への介入の根拠にしているのが、「政治的に公平であること」などをうたった放送法第4条です。放送の持つ公共的使命を考えれば、これ自体に異論がある人はいないでしょう。しかし番組を公平か否か、政府が審査するとなれば話は別です

▼思い出すのは2001年、当時官房副長官だった安倍氏が「政治的公平」を迫ったことで起きたETV番組改ざん事件です。この番組は日本軍「慰安婦」を扱ったものでした。介入の結果、NHKは加害兵士の証言などを削除。今度の高市総務相答弁では、「憲法9条」をめぐる番組も停波の対象になることを示唆しました。標的にされるのは、常に政権の意に反する放送です

▼14年の総選挙の際、自民党はNHKと民放キー局に、「政治的公平」を文書で要望。その結果、12年の衆院選の同期間に比べて選挙関連の放送時間が約4割減ったという報道もあります

▼権力をチェックするはずのマスメディアが権力にチェックされる。犠牲になるのは国民の「知る権利」です。

 

失言の連鎖 政治家の劣化を危ぶむ(2016年2月22日配信『新潟日報』−「論説」)

 

 政府、与党の幹部が「緊張感を持って」と繰り返す場面が目立つ。裏返せば、それだけ緩んでいることの証しでもある。閣僚や与党議員の問題発言が相次いでいる。

 つい最近では、自民党の丸山和也法務部会長が参院憲法審査会で「米国は黒人が大統領になっている。これは奴隷ですよ」と語った。意図はともかく、人種差別と受け止められかねない問題発言だ。

 丸山氏は「言葉が足りなかった」と撤回し、憲法審査会の委員を辞任した。議員辞職は否定したが、菅義偉官房長官は「国会議員は発言を慎重にすべきだ」と苦言を呈さざるを得なかった。

 閣僚の訂正や陳謝も枚挙にいとまがない。麻生太郎財務相は消費税再増税に伴う軽減税率導入によって倒産する中小企業が「百や千は出てくると思う」と答弁。衆院予算委で野党の追及に訂正した。

 丸川珠代環境相は東京電力福島第1原発事故の後、国が定めた除染基準の長期目標を「何の根拠もなく、時の環境相が決めた」と発言。撤回に追い込まれた。

 島尻安伊子沖縄北方担当相は、北方領土の島の名前を読めないという情けなさ。高市早苗総務相は政治的公平性に絡めて放送局の電波停止の可能性に言及。表現の自由にかかわる問題として批判がやまない。

 一連の失言や問題発言の背景にあるのは何なのか。「自民1強」で支持率も安定している政権のおごり、たるみもあろう。参院選を前に政府、与党は引き締めに躍起だ。

 だが、それ以上に深刻なのは、国会議員としての資質の劣化ではないか。「育休」を宣言しながら不倫問題で議員辞職した宮崎謙介前衆院議員はその典型。政治家としての訓練はきちんとできているのだろうか。

 小選挙区制の下で、有権者の支持が一方に振れる度に大量の新人議員が生まれる。だが、政党の「教育システム」が機能しているだろうか。政治に新風を吹き込むことは大事だが、議員としての資質をまず見極めるべきだ。

 野党もほめられたものではない。現金授受問題で辞任した甘利明前経済再生担当相が睡眠障害で自宅療養していることを受け、民主党の中川正春元文科相が党の会合で「首相の睡眠障害を勝ち取ろう」と語ったという。あまりに軽率な発言だ。

 国会議員の言葉ほど影響力を与えるものはない。だからこそ、発言には責任を伴う。それなのにこんな空虚な発言が相次ぐ。行き着く先は政治不信しかないだろう。

 今夏の参院選から18、19歳が選挙に参加する。若い有権者は現状をどのように見ているだろう。

 

政治家の失言続く  自らを律し負託に応えよ(2016年2月21日配信『徳島新聞』−「社説」)

                                         

 政治家の失言は、国民の信頼を損なうばかりか、外交問題に発展することもある。与野党を問わず、言動には十分注意しなければならない。

 このところ安倍政権は、閣僚や国会議員の失態が続く。「1強多弱」の状況にある自民党のおごりの現れではないか。謙虚に反省し、自らを律する必要がある。

 自民党の丸山和也法務部会長は参院憲法審査会で、米国のオバマ大統領について「今、米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」「まさか米国の建国当初には黒人、奴隷が大統領になるとは考えもしない」と述べた。

 人種差別とも受け取られかねない発言は、日米関係にはマイナスである。丸山氏は参院憲法審査会の委員を辞任した。丸山氏は「批判は不条理」と言うが、やはり政治家の発言の重さを肝に銘じるべきだろう。

 「イクメン議員」をアピールしてきた自民党の宮崎謙介衆院議員は女性タレントとの不倫を認め、辞職に追い込まれた。衆院議員の妻の出産に伴う育休取得を宣言していただけに、裏切られた思いだ。

 閣僚の思慮を欠いた発言は資質を疑わせるものである。

 麻生太郎財務相が衆院予算委で、消費税再増税に伴う軽減税率導入で倒産する中小企業が「百や千は出てくると思う」と述べたのには驚いた。

 過去には、中小企業への配慮を欠いた発言で辞任した閣僚もいる。多くの国民は中小に生活を依存しているのだ。

 原発災害への認識不足も露呈した。丸川珠代環境相は講演で東京電力福島第1原発事故で国が定めた除染の長期目標「1ミリシーベルト以下」について、「何の科学的根拠もなく時の環境相が決めた」と述べた。

 丸川氏は「誤解を与えるようであれば、言葉足らずで申し訳ない」と謝罪したが、被災者らに与えた不信感は、容易に払拭できまい。

 北方領土問題も安倍政権の重要な政策課題である。島尻安伊子沖縄北方担当相は会見で「歯舞群島」について「はぼ、何だっけ」と読み損ねた。政府は野党議員の質問主意書に、「発言に詰まっただけで、『歯舞』の読み方を知らないという事実はない」とする答弁書を決定したが、苦しげな弁明ではないか。

 高市早苗総務相は、放送法違反を繰り返した放送局の電波停止を命じる可能性に言及し、物議を醸した。

 甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題も依然として、真相が解明されていない。

 政府を追及する野党にも品位が求められる。民主党の中川正春元文部科学相は野党の会合で、担当相を辞任し睡眠障害で自宅療養中の甘利氏を引き合いに、「安倍晋三首相の睡眠障害を勝ち取ろう」とあいさつした。

 敵失に浮つき、首相を病気にしようと訴えても、国民の支持は広がるまい。

 緊張感を持って国民の負託に応えるのが議員の務めだ。

 

相次ぐ暴言・不祥事(2016年2月21日配信『しんぶん赤旗』−「主張」)

 

憲法・生活壊す安倍政治が元凶

安倍晋三政権の閣僚や自民党の国会議員の暴言や不祥事が後を絶ちません。安倍首相の盟友、甘利明前経済再生担当相が「口利き」によるあっせん利得の疑惑で辞任したのをはじめ、高市早苗総務相の憲法を踏みにじる放送介入発言、福島原発事故の被災者を傷つけ撤回に追い詰められた丸川珠代環境相の発言など、まさに次から次にというありさまです。女性問題で議員を辞職した宮崎謙介前衆院議員や、オバマ米大統領を中傷した丸山和也参院議員の発言などもあります。これほど相次ぐのは異常であり、安倍政権と安倍首相の責任はあいまいにできません。

資質やゆるみですまぬ

 ことは閣僚や自民党議員の資質や緊張感の欠如などで済ますわけにはいかない問題です。甘利氏や高市氏など安倍首相に近い閣僚や政権の“目玉”に起用した閣僚から暴言や疑惑が相次いでいることも責任を浮き彫りにしています。

 見過ごせない特徴の一つは、憲法を軽視し、憲法を破壊する安倍政権の特徴が、一連の発言から浮き出ていることです。憲法21条が保障する言論・表現の自由に反し、政府が一つ一つの放送番組までチェックし、放送法違反を持ち出して電波を止めさせる、「停波」処分で放送局を威嚇する高市氏の発言はその最たるものです。

 高市氏には権力を振りかざし処分で脅す発言そのものが、言論・表現の自由を脅かしていることへの自覚がありません。安倍首相も高市氏を擁護しています。言論関係者や憲法学者が高市氏の発言を批判しているのは当然です。憲法解釈を一方的に変更し、戦争法で集団的自衛権の行使に道を開き、明文改憲の意向さえ隠さなくなった安倍政権の実態そのものです。

 同時に一連の発言が、国民の痛みを知ろうともしないで悪政を推進する、安倍政権の姿勢を示していることも重大です。「1ミリシーベルトの基準は根拠がない」と原発事故の被災者を傷つけた丸川氏の発言はもちろん、消費税の10%への引き上げに関連して複数税率導入で「混乱はある程度起きる」と言い放った安倍政権の副総理、麻生太郎財務相の発言も、国民の不安や痛みを知らないものです。

 安倍首相も経済運営の破綻をどれほど追及されても、「アベノミクス」の成果は出ていると“自画自賛”を繰り返し、貧困と格差の拡大で苦しむ国民生活の実態に目を向けようとしません。島尻安伊子沖縄・北方担当相が担当閣僚なのに「歯(はぼ)舞(まい)群島」が読めなかったり、高木毅復興担当相が自らの疑惑をどんなに追及されても閣僚ポストにしがみついたりしているのも、国民の利益を優先しない政権の姿勢を浮き彫りにしています。

政権に自浄能力がない

 安倍政権の閣僚や自民党の国会議員による暴言などが後を絶たないなかで見過ごしにできないのは、政権の自浄能力のなさが事態に拍車をかけていることです。丸川氏や麻生氏も通り一遍の謝罪で事を済まそうとしていますが、甘利氏が自ら閣僚を辞任しただけであっせん利得の疑惑については解明しておらず、安倍首相も甘利氏任せを続けているのは、政権としての無責任さを象徴しています。

 安倍首相と政権が自浄能力を欠く限り暴言や不祥事はなくなりません。国民の追及が安倍首相に向かうのはいよいよ免れません。

 

応用(2016年2月19日配信『茨城新聞』−「いばらき春秋」)

 

1度うまくいくと、次も同じやり方で、と考えるのが人の常だろう。好ましい結果を出した方法を、他のケースにも当てはめる。いわば応用である

▼高市早苗総務相が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した放送局に対し、電波停止を命じる可能性を衆院予算委員会で言及した

▼「放送局が全く公正な放送をせず、改善措置も行わないとき、法律に規定された罰則規定を一切適用しないとは担保できない」と述べた。安倍晋三首相も追認する発言をして、波紋を広げている

▼さらに、これまでの政府見解は「放送局の番組全体を見て判断する」ものだったが、高市氏は「一つの番組」にも適用できる、とも述べている。これは「一つの番組を見て放送局全体を判断し、電波停止処分もあり得る」ということで、従前の政府見解とは正反対の解釈

▼一連のやりとりを通して見えてくるのは、今の政権が解釈改憲をしたのと同じ手法で、放送法の拡大解釈を進め、恣意(しい)的な「政治の公平性」をうたって放送局をコントロールしようとする姿だ

▼時の政権が憲法や法律を、都合のいいように拡大解釈し続けた先にあるのは、3代目が独裁を続けるかの国である。

 

続く問題発言 1強のおごりが透ける(2016年2月19日配信『信濃毎日新聞』−「社説」)

 

 聞くに堪えない発言である。陳謝で済む問題ではない。

 自民党の丸山和也参院議員が一昨日の参院憲法審査会で、オバマ米大統領に関し、「米国は黒人が大統領になっている。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」などと、人種差別と受け取られかねない発言をした。

 憲法が定める衆参二院制の中で参院が果たすべき役割について話し合っているときのことだ。

 丸山氏は日本が米国の州になれば集団的自衛権、日米安全保障条約は問題なくなるとした。「日本州出身が米大統領になる可能性が出てくる」とも語り、オバマ氏の話へと移っていった。

 初めに「例えば」と断ってはいるものの、発言の内容は薄っぺらで荒っぽいものだ。

 丸山氏は弁護士で、党の法務部会長を務めている。重責を担っているとの意識や緊張感が感じられない。民主党など野党3党はきのう辞職勧告決議案を参院に出した。国会議員としての資質を厳しく問わねばなるまい。

 安倍晋三政権の閣僚や自民党議員の間でこのところ問題発言、不祥事が相次いでいる。

 甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題は、いまだに真相が分からない。野党は国会招致を求めているが、甘利氏は国会を欠席し続け、「睡眠障害」との理由で1カ月間の自宅療養に入った。

 丸川珠代環境相の発言も納得しにくい展開だ。今月上旬、松本市であった若林健太参院議員の集会で福島第1原発の事故後に国が定めた除染の長期目標1ミリシーベルト以下について、「何の根拠もなく、時の環境大臣が決めた」などと語った問題である。

 丸川氏は謝罪し、発言を撤回した。内容は論理が粗雑だ。発言の該当部分を読むと民主党などを攻撃し、自民党の宣伝目的だったことが分かる。そもそも放射能汚染を甘く考えている人物に環境行政のトップを任せ続けていいのか、疑問が拭えない。

 高市早苗総務相が放送局に電波停止を命じる可能性に再三言及している問題も、国会論戦の焦点となっている。島尻安伊子沖縄北方担当相は北方領土の「歯舞(はぼまい)群島」を読めなかった。閣僚が物議を醸すケースが後を絶たない。

 「イクメン議員」をアピールしていた若手議員は不倫問題で辞職に至る不祥事を起こした。

 議員の数は多いが、質が劣化しているとのそしりが免れないだろう。「自民1強」のおごりや緩みは否定できない。

 

放送の「公平性」 政治が判断することか(2016年2月18日配信『岩手日報』−「論説」)

 

 放送法が規定する「政治的公平」をめぐる政府、与党の見解が議論を呼んでいる。

 発端は高市早苗総務相の委員会答弁。安倍政権に批判的とされる各局看板キャスターの相次ぐ番組降板に絡め、野党議員から「電波停止はあり得るか」と問われ「事実に照らし、その時の総務相が判断する」と可能性を認めた。

 高市氏は放送法を「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」と指摘。違反すれば当然、電波法が定める停波処分も考えられる−との立場だ。

 民主党など野党側は、放送法は罰則を伴わない倫理規定と主張。憲法が保障する「表現の自由」を脅かすなどと批判している。

 ところが民主党も、政権にあった2010年11月の委員会答弁で、当時の総務副大臣が現政権と同様の認識を示していることを高市氏が指摘した。規定に照らせば、確かに政府、与党の見解を誤りと切り捨てるのは難しい。つまるところ時の政府の判断で、放送事業者が処分を受ける可能性があるのが現状だ。

 こうなると、問題は今の政権にとどまらない。こうした制度解釈が民主主義の維持、発展に有用かどうか、厳しく問われるべきだろう。

 放送法は第4条1項で、政治的公平をはじめ「公安及び善良な風俗を害しない」「報道は事実をまげない」など、放送内容に関わる原則を規定している。

 一方、第1条では放送の不偏不党、真実と自律を保障することで「表現の自由を確保する」と、この法律の目的をうたう。目的が「表現の自由の確保」である以上、第4条を倫理規定と解さなければ逆に「自由」を阻害する。

 法規範とすれば権力が、本来的に「自由」であるべき表現内容に介入し得るからであり、NHKと民放連による第三者機関放送倫理・番組向上機構(BPO)が政府、与党の制度解釈を強く警戒し、批判するゆえんだ。

 昨年6月、安倍晋三首相を支援する若手議員による勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番」「(地元2紙の)牙城の中で沖縄の世論はゆがんでいる」など、弾圧とも取れる発言が相次いだ。

 自民党は代表者を1年の役職停止処分としたが、安全保障関連法の成立を待って3カ月に軽減。党の重要ポストに返り咲かせている。

 今年に入っても重要閣僚の口利き疑惑や不当発言、議員の不祥事などが続発。この状況で「政治的公平」を言い募るのは説得力に欠ける。

 放送法は、戦時中の言論弾圧の反省の中から生まれた。その精神を踏みにじる制度解釈のごり押しは、この機会に潔く改めてはどうか。

 

視聴者に委ねよ(2016年2月18日配信『長崎新聞』−「水や空」)

 

 「おまえはフェアでない」。米国人が争いで多用する言葉だ。フェアは公平、公正の意味だが、「おれは気にくわない」という程度の意味で使われることも多いという

▲テレビ放送の内容に対する「公正でない」との批判も「気にくわない」の意味であることが多い。価値観は人それぞれだから、公権力が判断すべき問題ではない。だから米国は1987年、放送に公正原則を掲げることをやめたのだと、テレビのニュースキャスターを務めた故・筑紫哲也さんが書いている(『国家を考える』)

▲筑紫さんは、何が公正かの判断を「だれかに委ねることは危険」と強調、電波は国民共有のものだから「その判断も国民、つまり視聴者に任せればよい」という

▲国民に委ねるべき判断を政府が行う可能性があると大臣が言及するのは、国民にとって危険である

▲高市早苗総務大臣が、政治的な公平性を欠くと判断した放送局に対して電波停止を命じる可能性があると答弁した。言論の自由を脅かしかねない判断を、政府が強権的に行うこともあるとした不穏当な発言だ

▲2010年、当時の片山善博総務大臣は「こちら側の態度としては、至って謙抑的でなければならない」と答弁している。穏当だ。先輩大臣の見識に学び、高市大臣も謙虚で抑制的な態度を身に付けてほしい。

 

熱血!与良政談;「高市発言」は当たり前か=与良正男(2015年6月17日配信『毎日新聞』―「夕刊」)

 

 放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返せば、電波停止を命じる可能性があるという高市早苗総務相の発言に関し、安倍晋三首相は国会で「法令について従来通りの一般論を答えた」と擁護してこう語った。

 「安倍政権こそ、与党こそ言論の自由を尊重している」

 これには、あぜんとした。

 首相は「テレビへの政権の介入」「テレビの萎縮」という話になると、激しい安倍政権批判で鳴る夕刊紙「日刊ゲンダイ」を例に挙げ、「今日、帰りにでも日刊ゲンダイを読んでみてくださいよ。これが萎縮している姿ですか」とかわすのが常だ。だから言論の自由は尊重されていると言いたいのだろう。首相が国会でそう発言すると、自民党議員からはドッと笑いが起きたりもする。

 だが、これはすり替えの議論だ。新聞とテレビとは違うからだ。

 戦前・戦中、新聞は新聞紙法という法律で国家に縛られていた。軍事や外交に関しては陸相・海相や外相に記事の掲載禁止権が与えられ、後に国家総動員法が成立すると、紙の配給も統制されるようになった。

 紙がなければ新聞を出せない。こうして新聞は大本営発表に唯々諾々として従い、むしろ軍部と連携して戦争をあおっていった。

 戦後は新聞紙法や国家総動員法はなくなり新聞人も反省を迫られた。一方、放送には電波法や放送法がある。総務相が免許権限を持ち、確かに電波停止を命じることは可能だ。

 戦前のようになるとは思いたくない。でもそんな生殺与奪の権利を握っているからこそ政権は、その行使に当たっては抑制的になるべきだと私は言いたいのだ。

 そもそも政治的公平とは何か。政府の発表を無批判に垂れ流すのも公平ではないはずだ。だが安倍政権を礼賛するようなテレビ報道ばかりだったら、果たして政権は放送法や電波法を持ち出しただろうか。

 2007年、福田康夫内閣の総務相だった増田寛也氏は電波停止の法律上の可能性を認めながらも「ただ表現の自由を制約する側面もあり極めて大きな社会的影響をもたらす。慎重に判断してしかるべきだ」と答弁している。その時々の総務相の判断だという高市氏との違いは明らかだろう。増田氏の答弁が「当たり前」なのである。

 

「電波停止」発言 放送はだれのものか(2016年2月16日配信『東京新聞』−「社説」)

 

 放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言が波紋を広げている。政権の“脅し”とも受け取れるからだ。放送とは国民のものであるという原点に戻り考えるべきだろう。

 問題の発言が飛び出したのは、八日の衆院予算委員会だった。「放送事業者が自律的に放送法を守ることが基本だ」としたうえで、高市氏は「放送事業者が極端なことをして、行政指導しても全く改善しない場合、何の対応もしないとは約束できない」と答えた。

 放送局に電波停止命令を出す可能性について問われたときも「将来にわたり全くないとは言えない」と述べた。

 確かに電波法七六条では、総務相は一定期間の電波停止命令ができると定めている。テロ参加を呼びかける放送など極端な場合だと高市氏は説明している。

 だが、問題となっている放送法とは、同法四条のことだ。「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」などを規定している。

 政治的公平性とは、立場によっていかなる解釈をもとることができる。ある人から見れば、公平であっても、意見の異なる人から見れば、偏向していると映る。およそ判定のつかない、極めて抽象的な概念である。

 だから、この四条の規定は、放送事業者が自らの放送倫理、良心に基づいて自律的に守るべき倫理規定だというのが、一般的な考え方だ。そもそも放送法の目的は「放送による表現の自由を確保すること」にあるのだ。民主主義の基礎である。

 戦前・戦中は政府の検閲があり、放送は自由ではなかった。逆に政府や軍部の宣伝機関として利用されてきた歴史がある。戦後の放送法制定時には、その反省に立って、「放送による表現の自由」をうたったのである。

 もし、四条が倫理規定でなく、担当大臣が放送をチェックする根拠法ならば、放送内容が公平なのかどうかを権力側が判断することになってしまう。自由な放送どころか、権力側が放送局を縛る結果となるわけだ。

 高市氏の発言が、放送局の現場を萎縮させないか心配だ。「電波停止」という、放送事業者にとって致命的な手段をちらつかせるのは、厳に慎むべきだ。国民に必要な十分な情報と知識を与えるためにも、放送局は毅然(きぜん)とした姿勢を保ち続けてほしい。

 

不愉快な圧力(2016年2月16日配信『静岡新聞』−「大自在」)

 

▼混戦の今年と違い1972年の米大統領選は結果が見えた選挙だった。大方の予想通り現職のニクソン大統領が大勝する。再選を機に政権は、ウォーターゲート事件を追及していたワシントン・ポスト紙への「反撃」を本格化させた

▼信用失墜を狙った批判、侮辱、ライバル紙の優遇。〈最も効果的な脅し〉は経営する地方テレビ局の免許への異議申し立てだったと、社主だった故キャサリン・グラハムさんが自伝に書いている

▼申し立てに根拠がない自信はあったが、継続の確証が得られない中で局の人材採用は滞る。〈主張を盛り込んだ放送〉も〈逆に利用されると分かっていただけに〉難しくなった。免許の更新経費はかさみ、ポスト社の株価は下落した

▼高市早苗総務相が放送法が求める「政治的公平性」を欠く放送局に対し電波停止を命じる可能性に繰り返し言及した。具体的問題が表面化しているわけではない。唐突感のある発言には与党内からもいぶかる声が上がる

▼かつては政府も「放送局の倫理規範」と説明していた条文の解釈を「処罰や指導の根拠になる」と変えたのは約20年前。民主党政権でもこの解釈が維持されたが「表現の自由を保障した憲法に照らし問題」との根強い批判もある

▼米国では政府から独立した機関が持つ放送免許の許認可権限を、日本では政府が持つ。所管の大臣が「政治的公平性の判断権限も持っている」と「従来通りの一般論」(安倍晋三首相)を口にする。グラハムさんの言葉を借りるのなら〈不愉快な圧力〉を感じた人がいても不思議ではない。

 

[議員と閣僚の質] 適性を疑わせる事態だ(2016年2月16日配信『南日本新聞』−「社説」)

 

 育児休暇取得を検討していた自民党の宮崎謙介衆院議員が、不倫騒動で議員を辞職することになった。きょうにも本会議で許可される方向だ。

 宮崎氏は、自民党衆院議員の妻の出産に合わせ1〜2カ月育休を取ると宣言し、「イクメン議員」として注目を集めた。

 ところが妻の妊娠中に、他の女性と不適切な交際をしていたと週刊誌が報じた。

 辞職はその事実を認め、責任を取ったものだ。宮崎氏は記者会見で「自分の主張と軽率な行動のつじつまが合わないことを深く反省する」と説明した。

 その通りであり辞職は当然だ。議員としての資質も疑わざるを得ない。せっかく男性の育休取得論議をリードしながら、裏切った責任も重い。

 だが、宮崎氏の問題と男性の育休取得は分けて考える必要がある。出産後、実家などの支援を得られず、孤立する母親が少なくないからだ。

 「まずは母親のパートナーであり、赤ちゃんの親である父親が一緒にいる選択肢がふつうにあるべきだ」と訴える女性も多い。

 政府は、スキャンダルに関係なく、男性の育休取得の政策を進めてもらいたい。

 宮崎氏の育休宣言にエールを送っていたのが丸川珠代環境相だ。

 その丸川氏は、東京電力福島第1原発事故の除染に絡む軽率な発言が撤回に追い込まれた。

 長野県内での講演で、国が定めた除染の長期目標1ミリシーベルト以下について「何の科学的根拠もなく、時の環境相が決めた」と述べた。

 国会で発言を追及された丸川氏はその後、福島に関連する部分をすべて取り消した。

 丸川氏の発言には放射線の専門家からも、いぶかる声が出た。

 1ミリシーベルト以下の目標は、「年間1〜20ミリシーベルトの幅で適切な防護をしながら、長期的に1ミリシーベルトを目指す国際放射線防護委員会の考え方に基づく」という指摘である。

 これに従えば、環境相として丸川氏がふさわしいのか首をかしげたくなる。

 島尻安伊子沖縄北方担当相は、記者会見で「歯舞」が読めなかった。昨秋、納沙布岬から視察した歯舞群島を思い出してほしい。

 高市早苗総務相も、放送局に電波停止を命じる可能性に言及するなど物議を醸している。

 こうした不用意な言動が続くのは、「自民1強」のおごりと言われても仕方がない。

 政府・与党は火消しに走るのでなく、「政権の緩み」を自戒して緊張感を持つべきである。

 

高市総務相発言 放送局の自律と公正が基本だ(2016年2月14日配信『読売新聞』―「社説」)

 

 放送局を巡る高市総務相の発言が、国会内外に波紋を広げている。

 高市氏は、衆院予算委員会で、放送局が政治的に公平性を欠く報道を繰り返した場合、電波法に基づく電波停止を命じる可能性があるとの認識を示した。

 民主党議員に「憲法9条改正に反対する見解を相当の時間にわたって放送しても停止になるのか」などと質問された際の答弁だ。

 高市氏は「1回の番組ではあり得ないが、ずっと繰り返される時に、罰則規定を適用しないとまでは担保できない」と述べた。

 野党からは「放送局の萎縮を招く」といった批判が相次いだ。与党内でも、「政府が統制を強めることには基本的に慎重であるべきだ」との声が上がっている。

 総務相は放送免許の許認可権を持つなど、放送局に直接、権限を行使できる立場にある。

 高市氏は「再発防止が十分でないなど極端な場合」と限定はしている。だが、今、放送局側に特段の動きがないのに、電波停止にまで踏み込んだのは、言わずもがなではないか。

 福田内閣や菅内閣でも、電波停止命令の可能性に言及した国会答弁はあったが、これまで、放送番組の内容を巡り、停止命令が適用されたケースはない。

 放送番組を制作する上で、憲法が保障する表現の自由は最大限、尊重されなければならない。

 放送法は1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」とうたっている。

 4条は、政治的に公平で、事実を曲げない報道を求めている。放送局は自律的に、公正かつ正確な番組作りに努める必要がある。

 政府は、選挙中に特定の候補者を紹介したり、国論を二分する問題で一方の見解のみを取り上げたりする番組は、政治的な公平性を欠くとする統一見解を出した。

 放送は公共財の電波を利用していることも忘れてはなるまい。

 個々の番組の内容に問題がある場合には、NHKと日本民間放送連盟によって設立された第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」が調査し、放送局に対する意見や勧告を公表している。

 こうした自浄作用は、有効に機能していると言えよう。

 政府関係者は放送内容に関し、安易な口出しを慎む。放送局も多角的な論点を視聴者に提供する。そうした取り組みを重ね、視聴者がニュースへの理解を深める番組を制作してもらいたい。

 

二重基準の手法(2016年2月13日配信『産経新聞』−「産経抄」)

 

 新聞やテレビがよく指摘される問題の一つが、対象によって適用する基準を変える二重基準の手法だ。同じことをしても、Aならば問題視せず、Bだったら危険視したり、激しく非難したりする。業界の悪癖である。

▼高市早苗総務相が、放送事業者が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性に言及したことで、野党や一部報道機関からの批判にさらされている。「事業者を萎縮させる」「メディアへの圧力だ」「憲法に抵触する」などと仰々しい。

▼「(高市氏は)法令について従来通りの一般論を答えた」。安倍晋三首相はこう述べたが、野党はさらに追及する構えだ。10日の衆院予算委員会では、民主党の大串博志氏が「電波停止を否定しないのか」と安倍首相に詰め寄っていたが、それでは民主党政権時代はどうだったか。

▼「放送事業者が番組準則に違反した場合には、総務相は業務停止命令、運用停止命令を行うことができる」。これは高市氏の発言ではない。菅直人内閣時代の平成22年11月、平岡秀夫総務副大臣(当時)が参院総務委で「番組規律違反の場合でも業務停止命令が行えるか」と問われた際の答弁である。

▼「そんなことをやっていると電波を止めるよ。政府は電波を止めることもできる」。民主党政権では、気にくわない報道をしたテレビ各社の記者に対し、露骨に恫喝(どうかつ)した幹事長もいた。当時は特段反応せず、安倍政権ではことさら大騒ぎするのでは、野党もマスコミもご都合主義が過ぎよう。

▼ゲーテは言う。「正直であることを私は約束できる。しかし不偏不党であることは約束できない」。報道も国会質問も、完全に党派性と無縁であることは難しい。せめて事実には正直に向き合いたい。

 

政治と報道と圧力 知る権利への無理解を危惧する(2016年2月12日配信『愛媛新聞』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が国会で、放送局が「政治的公平性」を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波の停止を命じる可能性に2日続けて言及した。

 放送は総務省の免許事業。そのトップが、特に差し迫った具体的な問題もないのに極めて強権的な「停波」を公然と振りかざすこと自体、メディアへの圧力と言う他はなく、到底看過できない。過去、意に沿わない報道に神経をとがらせ、注文を付け続けてきた安倍政権や自民党の「体質」と本音が、またも露呈したことを強く危惧する。

 高市氏は要件を掲げ、可能性は「極めて限定的」とするが、そもそも「政治的公平性」を時の政権や総務相が判断すれば当然、政権に批判的な報道が標的になり、恣意(しい)的な運用や乱用の抑止、限定には全くつながらない。法的根拠も曖昧で、番組が「政治的に公平であること」などを定めた放送法4条は、倫理規範との解釈が一般的。行政指導や処分の基準とするには薄弱で、表現の自由や編集の自律を掲げる法の理念にも反しよう。

 安倍晋三首相は、高市氏の発言を「従来通りの一般論」として追認した上で、「恣意的に気に食わない番組に適用するとのイメージを広げるのは(安全保障関連法で)徴兵制が始まるというのと同じ手法だ」「政府による高圧的な言論弾圧との印象づくりをしようとしているが、全く間違いだ」と反発した。だがそのイメージ、印象を生んだ責任は、ひとえに政権や自民党のこれまでの振る舞いにあることを忘れてはならない。

 圧力とも取れる言動は枚挙にいとまがない。一昨年秋には、自民党が在京各局に衆院選報道の「公正の確保」を求める文書を送付。昨春には党調査会が、NHKとテレビ朝日の幹部から個別の番組について事情聴取した。両番組キャスターは、TBSで安保関連法案に対して「廃案に向けて声を上げ続けるべきだ」と発言し、保守論客の団体に「放送法に違反する」と新聞全面広告で批判されたアンカーとともに、今春そろって交代する。求める「公平」が、従順で都合のいい報道であろうことは容易に推察できる。

 さらに昨夏、党若手議員らが勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番」などと発言。批判をよそに、議員への処分はすぐに短縮された。謝罪は形だけで、むき出しの本音を隠そうともしない現状を憂慮する。

 権力の側が常に厳しく監視、批判されることは、重い責務に鑑みて当然であり、避けられない。報道の自由は、憲法で保障された表現の自由と、メディアを通じた国民の「知る権利」のためにある。メディアの側の自覚、自律もむろん問われるが、圧力を「かける側」がその本質や重要性を理解しようとせず、国民の権利を軽視して踏みにじれば、政治への信頼と敬意は根底から失われる。あらためて、強く自制を求めたい。

 

総務相発言(2016年2月12日配信『宮崎日日新聞』−「社説」)

 

◆「放送の自律」に介入するな◆

 高市早苗総務相は衆院予算委員会で、放送局が政治的公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した。「極めて限定的な状況のみで行う」とした上で、将来的に罰則を適用することを否定しなかった。

 安倍政権にはこれまでも、国民の知る権利や表現の自由を支える「放送の自律」という原則を軽視する姿勢が目立つ。介入や圧力ととられかねない発言は慎むべきだ。

相次ぐ政権側の圧力

 民主党議員が、安倍政権に批判的な看板キャスターの番組降板が相次いでいると指摘し「電波停止が起こり得るのではないか」などと質問したのに答えた。

 発言が波紋を広げる中、菅義偉官房長官は、恣意(しい)的な運用は「あり得ない」とコメントした。

 だが自民党は昨年、番組内容をめぐりNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取。これに対し放送倫理・番組向上機構(BPO)は「自律を侵害する行為」と指摘した。

 すると政府内からは「法定の機関ではない」などと、その指摘を軽んずるような発言が相次いだ。

 このような姿勢を見せる政府が、政治的に公平かを判断し、場合によっては権限を使うというのだから、恣意的な運用を危惧する声が上がるのは自然なことだろう。

 放送法は「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」と目的をうたい、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることはない」などと定めている。

 社会的に大きな影響力を持つ放送局が自ら政治的公平性を慎重に判断したり、誤った報道をした場合に早急に訂正したりするのは当然だ。ただ表現の自由を確保するため、運営は「自律」によらなければならない。

報道現場への干渉も

 放送による被害救済などを目的に、放送業界は第三者機関BPOを設立している。NHK「クローズアップ現代」でやらせがあったとされる問題で、BPOは昨年11月に「重大な放送倫理違反」があったとする意見書を公表した。

 一方、総務省がNHKに厳重注意したり、自民党が聴取したりしたことを「圧力そのもの」と批判し、権力の介入に強く警鐘を鳴らした。自民党の聴取には、報道番組でコメンテーターが官邸批判をしたテレビ朝日も呼ばれた。

 高市氏は当時、「行政指導は法律上の拘束力はない」と反論した。だがTBSの報道番組で安倍晋三首相がアベノミクスに批判的な街の声を選んでいると発言したり、衆院選に向け自民党が在京6局に「公正中立」を要請する文書を出したりするなど、報道現場への干渉が目につく。

 言論や表現の自由、知る権利は民主主義の土台だ。参院選に向けても、批判を封じ込めるような姿勢があってはならない。

 

放送の公平性 政府が判断することか(2016年2月11日配信『北海道新聞』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が衆院予算委で、放送局が「政治的公平」を定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づいて電波停止を命じる可能性に、繰り返し言及している。

 「極めて限定的な状況のみで行う」「私の時にするとは思わない」と注釈は付けてはいるが、放送免許など電波行政を所管する閣僚の発言だ。

 放送への圧力と見られても仕方あるまい。

 そうでなくても、政府や自民党からは、テレビでキャスターやコメンテーターが政権に批判的な論評を行うたびに、過剰な反応が聞こえてくる。

 その了見の狭さは別にしても、放送メディアをコントロール下に置こうとの意図がうかがわれる。

 こんなことがあってはならない。政府は放送局の自主性を尊重するべきである。

 放送法4条は、放送番組の編集に当たって「政治的に公平であること」や「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などを求めている。

 問題は、政治的な公平性を判断するのは誰か―という点だ。

 それが時の政権であれば、判断がその意向に左右されかねない。逆に公平性を欠くことになる。

 高市氏は答弁で、4条の規定は「法規範性を持つ」と強調した上で、「法律というものは、違反した場合には罰則規定も用意されていることによって、実効性を担保する」との見解を示した。

 しかし、放送関係者や研究者の間では、4条の規定は放送事業者が自らを律するための「倫理規範」であるとの見方が主流だ。

 報道の自由が大幅に制限された戦前の反省に立てば、規定は政府が事業者を縛るためにあるのではないと考えるのが当然だろう。

 放送倫理に関しては、すでにNHKと民放が設立した放送倫理・番組向上機構(BPO)がある。

NHK番組でやらせがあったとする問題では、BPOの放送倫理検証委員会が「重大な放送倫理違反があった」と指摘した。

 これが自浄作用である。政府が口を出す問題ではない。

 気になるのは、政権に「もの言う」姿勢で報道番組に臨んだキャスターが、春の番組改編で次々と降板することだ。

 権力に切り込む姿勢の変化を心配する声もある。毅然(きぜん)とした態度を保てなければ、メディアとしてのあるべき姿とはほど遠い。

 

検閲(2016年2月11日配信『北海道新聞』−「卓上四季」)

 

日本軍が「後退」するときは「転進」と表現すべし。先の大戦中、政府や軍部がラジオや新聞に強要したのはご存じだろう。口出しは軍事面に限らなかったようだ。日本放送協会職員だった柳沢恭雄さんの著書「検閲放送」に詳しい

▼台風や風速の用語を使ってはいけない。敵を利するからだとか。逓信省は便乗して、所管する電話回線の不通や電信線の故障を放送してはいけない、と指示したとも。戦争への備えを優先するだけでなく、ミスも覆い隠す。今から見ればやりたい放題に思える

▼表現の自由がなければ国の行く末を誤らせるとの反省も踏まえて制定されたのが、放送法だったはず。しかし、政府のおせっかい好きは変わっていないらしい。高市早苗総務相は放送局が「政治的公平性」に欠ける放送を繰り返したら、電波を停止させる可能性を示した

▼一口に政治的公平性と言っても誰が判断するのか。何が公平か。物差しははっきりしない。中には、耳が痛くても親切な注進がある。それすら遠ざけようとしたら民の声を見誤りかねない

▼太宰治は冒頭の「転進」を<ころころ転げ回るボールを連想させる>とエッセーに書いていた。軍のやり方はあまりに飛躍しており、あほらしさしか感じない、と

▼意に沿わぬ放送内容に目くじらを立て、懲らしめようというのならばどう映るか。了見の狭さか。はたまた自信のなさだったりして。

 

電波停止の可能性/総務相の発言、容認できぬ(2016年2月11日配信『河北新報』−「社説」)

 

 原則を述べただけと聞き流すわけにはいかない。

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で連日、放送局に電波停止(停波)を命じる可能性に言及した、そのことである。

 確かに、放送局が「政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合」の前提があっての対応ではある。

 高市氏は「極めて限定的」と指摘しながら、停波を命じる事態について、(1)放送法に違反した内容が明白(2)公益を害し、阻止が必要(3)同様の放送を繰り返し、再発防止の措置が不十分(4)自主規制に期待するだけでは法の順守は不可能−と説明した。

 菅義偉官房長官は記者会見で「当たり前のことを述べたにすぎない」とし、恣(し)意(い)的な運用も否定した。ただ、所管大臣の発言だけに、放送関係者には「原則を超えた」重みを持って響いたに違いない。

 公平性を欠き、公益を害したと誰が判断するのか。繰り返しの事実認定を含め、基準は曖昧で客観性を保ち難い。停波の手続きに関し放送免許を交付する当局の意向が強く働くのは明白で、将来的な罰則の適用も否定せず、影響は大きく広がりかねない。

 政府からみれば威圧効果を、放送局からすれば萎縮効果をもたらすだろう。

 一昨年の衆院選のころから放送に対する安倍政権の姿勢が変化。今夏の参院選に加え憲法改正の発議を念頭に、あらためてくぎを刺したとの見方も的外れとは言えまい。

 自民党は昨年、報道番組でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸を批判したテレビ朝日の幹部から事情聴取。政権との距離を測りながら、辛口のコメントを発するキャスターらがこの春、相次ぎ降板の方向だ。

 批判のための批判は国民の報道機関への信頼を損ねて自らの基盤を崩すことになり、論外だが、政治権力を監視し、代弁者として自由にときに厳しく異論をぶつけるのはメディアの使命。民主主義の健全な発展にも不可欠だ。

 放送法は放送局に自らを律する賢明さを求め内容に節度を課しつつ、国家による報道介入を防ぐ意味合いを持つ。

 先のNHKの報道番組に関する放送倫理・番組向上機構(BPO)は昨年、倫理違反を認定する一方で、事情聴取や厳重注意をした政府・自民党の「介入」について、厳しい口調で批判した。

 放送業界の第三者機関の指摘を真(しん)摯(し)に受け止めるべきで、そうした中での高市氏の踏み込んだ発言なのである。報道に対する安倍政権の基本認識を示すとともに、政権とメディアの力関係を映した側面も否定できない。事は重大である。

 今、高市氏が停波という言論統制の可能性に触れざるを得ないほどの状況にあるのだろうか。一般論に近い形で法解釈を説明しただけだとすれば、あまりに政治的に過ぎる。沈静化を図るどころか警戒感を高めるような度重なる答弁は、放送メディアへの心理効果を狙ったとの臆測を呼ぼう。極めて遺憾である。

 併せて、放送局を含め報道機関は言論の自由を堅持する決意と覚悟が問われていることを自戒せねばならない。

 

放送の自律軽視が過ぎる/総務相発言(2016年2月11日配信『東奥日報』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で、政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した放送局に対して電波法に基づく電波停止を命じる可能性に言及した。「極めて限定的な状況のみで行う」とした上で「放送局が全く公正な放送をせず、改善措置も行わないとき、法律に規定された罰則規定を一切適用しないとは担保できない」と述べた。

 民主党議員が、安倍政権に批判的とされる看板キャスターの番組降板が相次いでいると指摘し「電波停止が起こり得るのではないか」などと質問したのに答えた。やりとりが波紋を広げる中、安倍晋三首相は「高市氏は放送法について従来通りの一般論を答えた」と述べた。発言は特に問題ないと擁護した形だ。

 しかし安倍政権は、国民の知る権利や表現の自由を支える「放送の自律」という大原則を軽視するような姿勢が目に付く。昨年、自民党が番組内容をめぐりNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取。NHKと民放が放送による被害救済などを目的に設立した第三者機関である放送倫理・番組向上機構(BPO)は、「自律を侵害する行為」と批判した。すると、政府内から「法定の機関ではない」などと、その指摘を軽んずるような発言が相次いだ。

 そのような政府が政治的に公平かを判断し、場合によっては権限を使うというのだから、恣意(しい)的な運用を危惧する声が上がるのは当然だろう。報道現場の萎縮につながる恐れもあり、介入や圧力ととられかねない。

 放送法は第1条で「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」と目的をうたい、3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない」と規定している。さらに「(番組は)政治的に公平であること」などと4条にある。

 2010年に表現の自由と行政の権限行使について聞かれ、当時の片山善博総務相は「こちら側の態度としては、至って謙抑的でなければならない」と答弁している。

 社会的に大きな影響力を持つ放送局が自ら政治的公平性を慎重に判断したり、もし誤った報道をした場合には早急に訂正するのは当たり前だが、表現の自由を確保するために運営はあくまで「自律」によらなければならない。放送局が政治的な公平を欠く放送を繰り返した場合、電波停止の可能性に言及した。「電波停止」とはけたたましい。政権にもの申すと、「公平性に欠く」と判断される危険性がありやしないか。物言えば唇寒し、では言論の自由が霞(かす)む。談論風発は民主主義の根幹だ。弁もまた剣よりも強し、である。

 

「電波停止」(2016年2月11日配信『東奥日報』−「天地人」)

 

江戸の古川柳に<はやり風十七屋からひきはじめ>とある。十七屋は日本橋にあった飛脚問屋のこと。上方から東海道筋で入った「はやり風」は、当時のターミナルとも言える飛脚問屋から江戸中に広がったようだ。「風疫」「疫邪」とも呼ばれ恐れられた。

 その「風疫」に二十数年ぶりに感染してしまった。突如、背筋に悪寒が走った。地獄に突き落とされるような嫌な感触だった。「A型ですね」。診療所でインフルエンザ罹患(りかん)を告げられた時には、既に意識朦朧(もうろう)の状態である。40度超の高熱にうなされ、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の苦悶(くもん)が続いた。

 ずっと予防接種をしているが、今年は遮断できなかった。医師の指示に従い、結局6日間欠勤する羽目に。とんだ“大型連休”である。コラムを書く身として、休筆は「不覚」というほかない。

 目に見えぬ相手はなかなか厄介だ。ペンもウイルスには勝てぬが、「剣よりも強し」である。言論の自由に関わる高市早苗総務相の発言には、さすがに釘を刺したくもなる。

 放送局が政治的な公平を欠く放送を繰り返した場合、電波停止の可能性に言及した。「電波停止」とはけたたましい。政権にもの申すと、「公平性に欠く」と判断される危険性がありやしないか。物言えば唇寒し、では言論の自由が霞(かす)む。談論風発は民主主義の根幹だ。弁もまた剣よりも強し、である。

 

直球勝負(2016年2月11日配信『秋田魁新報』−「北斗星」)

 

 戦国時代の剣豪塚原卜伝(ぼくでん)は、渡し船で乗り合わせた剣士から真剣勝負を挑まれ、他の客に迷惑が掛かってはいけないと、剣士ともども小舟に乗り移って中州に向かう

▼はやる剣士は岸辺に着くのももどかしく中州に飛び降りるのだが、卜伝はそのまま艪(ろ)をこいで離れていく。取り残されて悔しがる剣士を尻目に、戦わずして勝つ、これぞ無手勝流(むてかつりゅう)なり、と言い放ったのである

▼伝説、創作さまざまながら、歴史に名を残す剣豪はやたらと刀の柄(つか)に手を掛けたりしない。彼らに比べれば高市早苗総務相は剣士としては一流ではない。放送局が政治的公平性を欠くような放送を繰り返した場合、電波停止の強権発動もあり得る、と威圧的な発言を繰り返すのだから

▼政治的公平とは時の政権に寄り添うことではない。政権への批判や異論を丁寧にすくい上げて伝え、多様な意見が交わされる「論争の場」をつくることも放送の大切な役割であることを、大臣が知らないわけはないだろう

▼ただ高市氏の発言が突出しているとも思えない。憲法21条は「言論、出版など一切の表現の自由」を何の制約もなく保障しているが、自民党の憲法改正草案は「公の秩序を害することを目的とした活動は認めない」などの条文を新たに加えている

▼安倍晋三首相は年明けから改憲への意欲を語り始め、9条改正を含む草案をたびたび持ち出す。高市発言は首相と歩調が合う。意外と正直に直球勝負を仕掛けているのではないだろうか。

 

政治的中立性(2016年2月11日配信『伊勢新聞』−「大観小観」)

 

▼高市早苗総務相が「政治的な公平性を欠く」放送の電波停止に言及したとして物議をかもしているが、具体例として「国論を二分する政治課題で」一方の見解のみを取り上げて相当時間にわたり繰り返す場合を挙げたのは同感

▼国の事業を推進する原子力発電環境整備機構(NUMO)が国論の分かれる使用済核燃料の地層処分についての賛成論を著名なタレントに語らせるテレビCMを流していたのには、原資が税金であるだけに、こんなことが許されるのかと思ったものだ

▼高市発言はNHK『クローズアップ現代』の「出家詐欺」報道を厳重注意したことに端を発している。「政治的な公平性」うんぬんとはちょっと違う気がするが、放送倫理・番組向上機構(BPO)の委員会に政治介入だと批判されたことに反発しての、騎虎の勢いかもしれない

▼BPOは「視聴者の基本的人権を擁護するため」放送への苦情、倫理問題に対応する機関。「出家詐欺」報道を「重大な放送倫理違反」と認定したまでは職務だろうが、なぜ政府介入問題まで追記したか。放送局のこのごろの政権への萎縮ぶりに業を煮やしたのかもしれないが、やる以上はそれにふさわしい時、場面があろう。ついでのように扱う問題ではない

▼放送法が報道の自由を政権から守るための法律だという解釈もいいとして、だから放送事業者に義務づけた「政治的に公平」が自分らの「倫理規定」で、政府からとやかく言われるものではないというのは視聴者の全面的納得は得られるか。「第四の権力」とやゆされる現代の時代背景も考えねばなるまい。

 

「電波停止」発言/放送の自由を危うくする(2016年2月11日配信『神戸新聞』−「社説」)

 

 放送局に対する政権側からの圧力とも言うべき動きが止まらない。

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した。

 電波停止については「極めて限定的な状況のみで行う」と説明しながらも、将来的に罰則を適用することを否定しなかった。

 放送免許を付与する権限を持つ総務相の発言だけに看過できない。

 安倍政権に批判的とされる看板キャスターの報道番組降板が相次いでいる問題を野党が取り上げ、「電波停止が起こり得るのではないか」と質問したのに対して答えた。ただでさえ懸念の声が上がる中、時の総務相が「公平性」を振りかざし、番組内容が適切かを判断するというのでは言論統制に陥る恐れがある。

 さすがに与党内からも危惧する意見が出ている。石破茂地方創生担当相は「『気に入らないから、統制する』となれば、民主主義とメディアの関係はおかしくなる」と述べた。表現の自由に関わる問題であり、当然の指摘だ。

 テレビ局への注文は最近目立っており、自民党は昨年4月、報道番組でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸批判をしたテレビ朝日の幹部から事情聴取した。その後、高市総務相はNHKを文書で厳重注意している。昨年6月には自民党若手議員の勉強会で「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい」との発言もあった。

 高市氏は放送法4条の「政治的公平」は「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」と主張しているが、放送事業者が自ら律するための「倫理規範」とするのが通説である。

 放送法はその目的を記す第1条で「放送の自律の保障」「表現の自由の確保」との原則を掲げている。そもそもこの法律は「放送は政府のもの」という戦前を反省し、権力からの「自主・自律」を放送局に求める趣旨で制定された経緯がある。

 言うまでもなく、放送による表現の自由は、憲法21条によって保障されている。政府が4条の規定を根拠に放送内容を規制したり、干渉したりするようなことこそ憲法や法律の趣旨に反するものだ。

 放送現場を萎縮させるような発言は撤回すべきである。

 

総務相発言/放送の「自律」尊重を(2016年2月11日配信『山陰中央新報』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で、政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した放送局に対して電波法に基づく電波停止を命じる可能性に言及した。「極めて限定的な状況のみで行う」とした上で「放送局が全く公正な放送をせず、改善措置も行わないとき、法律に規定された罰則規定を一切適用しないとは担保できない」と述べた。

 民主党議員が、安倍政権に批判的な看板キャスターの番組降板が相次いでいると指摘し「電波停止が起こり得るのではないか」などと質問したのに答えた。やりとりが波紋を広げる中、菅義偉官房長官は会見で「当たり前のことを法律に基づいて答弁したにすぎない」とコメントした。

 しかし安倍政権は、国民の知る権利や表現の自由を支える「放送の自律」という大原則を軽視する姿勢が目立つ。昨年、自民党が番組内容をめぐりNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取。放送倫理・番組向上機構(BPO)は「自律を侵害する行為」と批判した。すると政府内から「法定の機関ではない」と指摘を軽んずるような発言が相次いだ。

 そんな政府が政治的に公平かを判断し、場合によっては権限を使うというのだから、恣(し)意(い)的な運用を危惧する声が上がるのは当然だろう。報道現場の萎縮につながる恐れもある。

 放送法は第1条で「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」とうたい、3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることはない」と規定している。さらに「(番組は)政治的に公平であること」などと4条にある。

 社会的に大きな影響力を持つ放送局が自ら政治的公平性を慎重に判断し、もし誤った報道をした場合には早急に訂正するのは当たり前だが、表現の自由を確保するために運営はあくまで「自律」によらなければならない。BPOは、NHKと民放が放送による被害救済などを目的に2003年に設立した第三者機関。番組の捏造(ねつぞう)問題の議論のほか、視聴者からの意見や苦情について話し合っている。

 NHKの報道番組「クローズアップ現代」でのやらせ問題では、BPOは昨年11月に「重大な放送倫理違反」があったとする意見書を公表。その中で総務省がNHKに厳重注意したり、自民党が事情聴取したりしたことを「圧力そのもの」と批判した。自民党の聴取には、報道番組でコメンテーターが官邸批判をしたテレビ朝日も呼ばれた。

 当時、高市氏は「行政指導は法律上の拘束力はない」と反論した。だが14年11月にTBSの報道番組で安倍晋三首相がアベノミクスに批判的な街の声を選んでいると発言し、衆院選に向け自民党が在京6局に「公正中立」を要請する文書を出したことも考え合わせると、「圧力」ととられかねない。

 そして今回の発言だ。10年に表現の自由と行政の権限行使について聞かれ、当時の片山善博総務相は「こちら側の態度としては、至って謙抑的でなければならない」と答弁した。どちらが正しい姿勢か、考えてみるまでもないだろう。

 

高市総務相発言  放送局の委縮が心配だ(2016年2月11日配信『徳島新聞』−「社説」)

                                         

 放送法は1条で、「放送の不偏不党」「自律」「表現の自由」の原則を示している。

 戦時中、政府の圧力や検閲などで表現の自由が守られなかった。その反省の上に立って放送法が制定されたことを忘れてはならない。

 高市早苗総務相の衆院予算委員会での発言には、言論の自由を守る観点から、疑問を感じる。

 高市氏は、放送局が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した場合、電波法に基づき、電波停止を命じる可能性に言及した。「極めて限定的な状況のみで行う」と言うが、放送局側の萎縮を招かないか、心配である。

 放送は総務省の免許事業であり、電波法76条は、総務相が、放送法に違反した放送局の運用を3カ月以内の間、停止できると定めている。

 権限を行使できる立場であればこそ、放送の公正さを保つため、慎重な言動、姿勢が求められる。

 高市氏は、電波停止を命じる基準として▽放送法に違反した放送が行われたことが明らか▽放送が公益を害し、将来に向けて阻止が必要▽同じ放送局が同様の事態を繰り返し、再発防止の措置が十分ではない▽放送局の自主規制に期待するだけでは、放送法を順守した放送が確保されない|を挙げた。

 放送法4条は、放送番組の編集に当たって「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などと定めている。

 放送局が順守しなければならないのは当然だ。

 だが、政権を批判する放送局の政治的な公平性を、政権側が適切に評価するのは、難しいとの指摘もある。

 高市氏の発言は、民主党議員の質問に答えたものだが、安倍政権がテレビの報道に神経をとがらせる中での発言である。放送関係者から、言論の自由に対する懸念の声が上がるのも無理はない。

 これまで政権与党は、放送局に「圧力」とも取られかねない注文をつけてきた。

 自民党は2014年末の衆院選を控え、在京各局に選挙報道で「公平中立、公正の確保」を求める文書を出した。 昨年も自民党は、テレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターの官邸批判発言や、NHK「クローズアップ現代」のやらせ疑惑で、局幹部をそれぞれ事情聴取した。

 安倍政権に批判的なキャスターらのテレビ番組降板が決まったことも気にかかる。

 これについて、安倍晋三首相は予算委で「言論機関が萎縮していることは全くない」と述べた。

 もとより放送局は萎縮してはならないが、視聴者は降板を偶然だと見るだろうか。

 安倍政権は甘利明前経済再生担当相の金銭授受問題で批判を浴びる。謙虚に自省し、メディアのチェックに耐える政権運営を行うべきである。

 

【電波停止発言】放送局を威圧するのか(2016年2月11日配信『高知新聞』−「社説」)

 

 メディア規制を強めようとする安倍政権の姿勢が表れた発言といわざるを得ない。

 高市総務相が衆院予算委員会で、放送局が政治的に公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波法に基づき電波の停止を命じる可能性に言及した。

 再発防止の措置が十分でないなど「極めて限定的」な場合だとする。菅官房長官も恣意(しい)的な運用は「あり得ない」と強調したが、放送局を威圧し、表現の自由、報道の自由を脅かしかねない発言だ。

 放送事業者が放送法に違反した場合、総務相は電波法に基づいて放送局の運用停止、放送法に基づいて業務停止を命じることができる。ただし、その適用には重大な問題をはらんでいる。

 放送法4条は番組の編集に当たって、「政治的に公平であること」などを定めている。その前提には、国家が検閲などで放送をコントロールした戦時中の反省に立ち、憲法が保障する表現の自由がある。放送法の大原則は自主・自律だ。

 このため国は当初、現在の4条の規定を基本的に放送事業者の倫理規範とする解釈をしてきた。国会答弁などでも、「精神的規定の域を出ない」といった趣旨の説明を繰り返し行っている。

 ところが、国はその後、解釈を変え、1993年には「最終的には郵政省(現総務省)が政治的公平を判断する」旨を答弁。事実上の法的規制といえる、警告などの行政指導をした例は少なくない。

 安倍政権下では、政治介入と受け止められても仕方がないような動きが相次いでいる。番組内容をめぐって昨年、総務省がNHKを厳重注意し、自民党も幹部から事情聴取したのは記憶に新しい。それらに続く、電波停止の可能性への言及だ。

 放送局が「政治的公平」や「報道は事実を曲げない」などの基本を厳守すべきことはいうまでもない。ただし、政治的に公平か否かはさまざまな見方があり得るだろう。

 曖昧な規定への違反を理由にした処分がまかり通ればどうなるか。時の政権が恣意的、強権的に報道に干渉する道を開きかねない。野党が厳しく批判し、与党内からも懸念の声が出るのは当然といえる。

 NHKと民放は共同で放送倫理・番組向上機構(BPO)を設立するなど、自律を強化してきた。番組をめぐる不祥事の根絶に向けてさらに努力するとともに、毅然(きぜん)とした姿勢で報道機関としての責務を果たしていく必要がある。

 政治介入を招きかねない放送行政の在り方にも触れておきたい。米英をはじめ先進国の多くは政府から一定の距離を置く独立機関が放送を管轄している。

 日本にも1950年の放送法などの施行に併せ、電波監理委員会が設置されていた。わずか2年で廃止となったのは独立性の高さが原因との見方もある。再設置を検討すべき時期が来ているのではないか。

 

総務相発言 表現の自由に対する威圧(2016年2月11日配信『西日本新聞』−「社説」)

 

 放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる可能性がある−。高市早苗総務相が衆院予算委員会でそんな答弁をしている。

 電波停止は放送局にとって死活に関わる重大問題だ。憲法が保障する表現の自由に対する威圧にほかならない。そもそも政治的公平性をどんな基準で測るつもりか。

 安倍晋三政権はメディアの報道内容に神経をとがらせている。自民党議員の勉強会で「マスコミを懲らしめる」趣旨の暴言が飛び出したこともあった。高市氏の発言もその流れなのだろう。

 電波停止命令は、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づくとの説明だ。放送法4条は放送事業者に政治的公平などを求める。電波法76条は放送法などに違反した場合、総務相は一定期間電波を止め、事業免許を取り消すこともできると規定する。

 しかし、放送法4条は放送局の倫理規範というのが定説だ。高市氏はこれに異を唱え、過去にも「罰則規定が用意されることで実効性を担保する」と発言した。

 ただ、同じ放送法は1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」と規定する。言うまでもなく、憲法は言論や表現の自由を保障している。

 新聞も含めてメディアには、権力を監視する役割がある。どの政党、どの政治家が権力の座に就こうと、その姿勢に変わりはない。それこそ不偏不党、政治的公平性を貫くことだと確信する。

 高市氏は「私が総務相の時に電波停止はないだろうが、将来にわたり罰則規定を一切適用しないとまでは担保できない」と述べた。いざというときには抜く「伝家の宝刀」のつもりなのだろうか。

 高市氏の発言には安倍内閣の閣僚からも「民主主義とメディアの関係がおかしくなる」など懸念する声が聞かれる。それだけ危うい内容ということだ。

 メディアの側に萎縮や自主規制があってはならない。威圧に屈すれば脅した側の思うつぼである。

 

「末は博士か大臣か」(2016年2月11日配信『西日本新聞』−「春秋」)

 

 「末は博士か大臣か」。今はほとんど聞かない。子どもに説く栄達の目標と実態が懸け離れてしまったからだろう。博士の方は新型細胞の研究論文不正で株を下げた。一方の大臣の値打ちは下げ止まらないデフレ状態か

▼執務室で現金を受け取った大臣の辞任に続いて問題が次々と。その一。高市早苗総務相の「電波停止」。放送局が政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返せば電波停止を命じる可能性がある、と国会で答弁した

▼自民党はこれまでも放送局に選挙報道の公平中立を求める文書を送ったり、NHKや民放の幹部を呼んで事情聴取したりした。同党議員からは「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくすのが一番」との暴言も

▼「電波停止」も政権に批判的な報道は封じようという空気の中で発せられたのでは。公平性という曖昧な基準で伝家の宝刀をちらつかせるなら、許認可を受ける側には脅しと映ろう

▼その二。丸川珠代環境相の「何の科学的根拠もなく時の大臣が決めた」。福島原発事故後、民主党政権が定めた年間被ばく線量の長期目標について講演でそう言ったと報じられた。被災地はどう受け止めただろう

▼その三。島尻安伊子沖縄北方担当相の「はぼ…何だっけ?」。北方領土の「歯舞群島」が読めなかった。いずれも担当大臣の耳を疑う発言だ。こんな不見識が続くならば、自民党株も“みぞうゆう”の暴落とならないか。

 

[高市総務相発言] 電波停止を命じるのか(2016年2月11日配信『南日本新聞』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で、放送局が政治的に公平でない放送を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した。

 「極めて限定的な状況のみで行う」としながらも、将来的な罰則適用を否定していない。

 放送局への圧力と受け取られかねず、権力を監視する立場の報道機関を萎縮させる恐れすらある。憲法が保障する「表現の自由」を制限しかねない発言は厳に慎むべきである。

 民主党議員が、安倍政権に批判的とされる看板キャスターの番組降板が相次いでいることを指摘した上で、「電波停止が起こりうるのではないか」と尋ねたのに対して答えた。

 放送法は第1条で放送の不偏不党と、「自律」や「表現の自由」の確保をうたっている。4条には「政治的に公平であること」とある。

 高市氏は放送法について「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」と指摘し、「(電波停止命令は)事実に照らして、その時の総務相が判断する」と述べた。菅義偉官房長官も記者会見で「当たり前のことを法律に基づいて答弁したにすぎない」とコメントした。

 法学界の通説では、4条は努力義務を定めたものだ。郵政省(現総務省)も、「行政処分するのは事実上不可能」と言明していた。

 安倍政権は、国民の知る権利や表現の自由を支える「放送の自律」の原則を軽視する姿勢が目立つ。

 安倍晋三首相は一昨年11月、TBSの報道番組に出演した際、番組がアベノミクスに否定的な街の声を選んでいると批判した。昨年は自民党が、報道番組でやらせを指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸批判をしたテレビ朝日の関係者から事情を聴いた。自民党議員勉強会での「マスコミを懲らしめる」発言もあった。

 そんな政権に「政治的公平性」を判断すると言われても、恣意(しい)的な運用を危惧する声が上がるのは当然ではないか。

 2010年に国会で表現の自由と行政の権限行使について聞かれた当時の片山善博総務相は、「こちら側の態度としては、極めて謙抑的でなければならない」と答弁した。政権側の姿勢として、どちらが常識的かは、明らかだろう。

 テレビ番組をはじめ、報道に厳しい目が向けられている現実もある。

 放送局自ら、政治的公平性を慎重に判断するのが筋であり、さもなければ視聴者にそっぽを向かれるだけだ。よりどころは政権ではなく国民の「知る権利」である。

 

「電波停止」発言]放送への露骨な威圧だ(2016年2月1日配信『沖縄タイムス』−「社説」)

 

 政府による放送メディアへの介入の動きが止まらない。 高市早苗総務相は8、9両日の衆院予算委員会で、放送局が政治的公平性を欠く放送法違反を繰り返し、改善要請に従わなかった場合、電波法に基づく電波停止もありうる、との考えを明らかにした。

 放送事業に対する許認可権をもつ総務相が「電波停止」に触れること自体、放送局に対して大きな威圧効果を発揮する。

 高市氏の発言が歴代の総務相答弁と違うのは、権限の行使を抑制するという慎重な姿勢がみられず、権限行使に含みを持たせ威嚇するような言い方が目につく点だ。

 放送法は第4条で「放送番組の編集」について規定し、「政治的に公平であること」などを求めている。また、電波法第76条は、放送法違反の事例に対して電波停止ができることを定めている。

 高市氏が依拠しているのはこの二つの法律だが、通説を無視した強引な条文解釈というほかない。

 放送法は「不偏不党、真実及び自律を保障する」ことによって「放送による表現の自由を確保すること」を目的にしている(第1条)。これを受けて第3条は「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない」と定める。

 放送局が自らを律することによって権力の介入を防ぐ、という趣旨だ。政治的公正を定めた第4条は、放送局の自律を前提にした倫理規定だというのが通説である。

■    ■

 それにしても高市氏の唐突な発言は耳を疑う。「電波停止」は放送局にとって死活的な行政処分である。それを国会の場で軽々しく口にする神経が理解できない。

 政府・自民党のメディア介入が公然化したのは、安倍政権になってからである。

 自民党は昨年4月、NHKの「クローズアップ現代」とテレビ朝日の「報道ステーション」が、事実に反する放送をしたとして両局幹部を呼び、事情聴取した。

 自民党に、そのような法的権限は与えられていないにもかかわらず、である。

 放送界が設置した第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の放送倫理検証委員会は昨年11月、NHK、テレ朝への事情聴取を「政権党による圧力そのもの」だと非難した。

 安倍政権は、しかし、放送法第4条は「単なる倫理規定ではない」と反論する。

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 公平性違反を前面に掲げることによって政府の介入を正当化するその手法は巧妙である。公平性を前面に押し出せば国民の理解が得られる、と踏んでいるのかもしれない。

 政治介入を避けたいという放送局側の心理が「自粛」の空気を生み出していく。満州事変以降の戦前の新聞・ラジオもそうだった。

 番組内容が適切かどうかを大臣が判断するような仕組みは極めて危険だ。安倍政権下の「1強多弱」の政治とは、野党や司法、メディアが監視機能を低下させ行政権力が肥大化した状態のことである。決して好ましい姿ではない。

 

総務相「停波」発言 報道への介入をやめよ(2016年2月11日配信『琉球新報』−「社説」)

 

 安倍政権、自民党の体質がまた表れた。高市早苗総務相は8、9日の衆院予算委員会で、政治的公平性を理由に放送局の電波を停止する可能性に言及した。政権、与党が報道に圧力をかけるような行動は、これまでにも何度か繰り返され、そのたびに批判があった。

 安倍政権下では、衆院選を控えた2014年11月、自民が各放送局に「公平中立」を求める文書を送付した。15年4月は放送内容に関し、党情報通信戦略調査会がNHK、テレビ朝日幹部を事情聴取し、高市氏がNHKに文書で厳重注意した。同6月には党の若手勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告収入をなくせ」という暴言があった。

 今回の高市氏の発言も、こうした政権、党の姿勢の延長線上にあるとみられる。

 権力を持つ側が報道を統制・検閲すれば、国民に必要な情報が伝わらず、道を誤る。戦前の経験への反省があるなら、報道への介入など出てくるはずのない発想だ。憲法が保障する「表現の自由」を脅かすことがあってはならず、報道への介入などもってのほかだ。

 高市氏は歴代の総務相らも同様の発言をしていると指摘するが、発言の趣旨は全く違う。

 「表現の自由を制約したりする側面もあることから、極めて大きな社会的影響をもたらす」(2007年、増田寛也総務相=当時)「至って謙抑的でなければならない」(10年、片山善博総務相=同)。

 増田、片山の両氏は権限があることを認めつつも、行使には慎重な姿勢を示している。大臣の権限を前面に打ち出した高市氏の発言とは全く異なっている。

 高市氏は電波停止の前提として、放送内容の公平性に言及し、根拠として「政治的に公平であること」などと定める放送法4条を挙げ「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」と語った。

 NHKへの文書注意でも高市氏は同様の主張をした。安倍首相らも同様の見解だ。しかし放送法4条の解釈については、専門家の間で「倫理規範」であることが通説とされる。自らに都合の良い解釈を振りかざし、報道への介入を正当化するかのような言動も見過ごせない。

 一大臣の発言撤回で済む問題ではない。表現の自由を脅かしかねない政権に対し、首相をはじめ政権幹部は、国民が厳しい視線を注いでいることを自覚すべきだ。

 

 

総務相発言 目に余る放送の自律軽視(2016年2月10日配信『茨城新聞』−「社説」)

 

高市早苗総務相が衆院予算委員会で、政治的な公平性を欠く放送法違反を繰り返した放送局に対して電波法に基づく電波停止を命じる可能性に言及した。「極めて限定的な状況のみで行う」とした上で「放送局が全く公正な放送をせず、改善措置も行わないとき、法律に規定された罰則規定を一切適用しないとは担保できない」と述べた。

民主党議員が、安倍政権に批判的な看板キャスターの番組降板が相次いでいると指摘し「電波停止が起こり得るのではないか」などと質問したのに答えた。やりとりが波紋を広げる中、菅義偉官房長官は記者会見で「当たり前のことを法律に基づいて答弁したにすぎない」とコメントした。

しかし安倍政権は、国民の知る権利や表現の自由を支える「放送の自律」という大原則を軽視する姿勢が目に余る。昨年、自民党が番組内容をめぐりNHKとテレビ朝日の幹部を事情聴取。放送倫理・番組向上機構(BPO)は「自律を侵害する行為」と批判した。すると、政府内から「法定の機関ではない」などと、その指摘を軽んずるような発言が相次いだ。

そんな政府が政治的に公平かを判断し、場合によっては権限を使うというのだから、恣意(しい)的な運用を危惧する声が上がるのは当然だろう。報道現場の萎縮につながる恐れもあり、介入や圧力ととられかねない無用な口出しは厳に慎むべきだ。

放送法は第1条で「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」と目的をうたい、3条で「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることはない」と規定している。さらに「(番組は)政治的に公平であること」などと4条にある。

社会的に大きな影響力を持つ放送局が自ら政治的公平性を慎重に判断したり、もし誤った報道をした場合には早急に訂正したりするのは当たり前だが、表現の自由を確保するために運営はあくまで「自律」によらなければならない。BPOは、NHKと民放が放送による被害救済などを目的に2003年に設立した第三者機関。番組の捏造(ねつぞう)問題を議論するほか、視聴者からの意見や苦情について話し合っている。

NHKの報道番組「クローズアップ現代」でやらせがあったとされる問題で、BPOは昨年11月に「重大な放送倫理違反」があったとする意見書を公表。その中で、総務省がNHKに厳重注意したり、自民党が事情聴取したりしたことを「圧力そのもの」と厳しく批判した。自民党の聴取には、報道番組でコメンテーターが官邸批判をしたテレビ朝日も呼ばれた。

当時、高市氏は「行政指導は法律上の拘束力はない」と反論した。だが14年11月にTBSの報道番組で安倍晋三首相がアベノミクスに批判的な街の声を選んでいると発言し、衆院選に向け自民党が在京6局に「公正中立」を要請する文書を出したことも考え合わせると、圧力という受け止め方は自然といっていい。

 

放送の自律 威圧も萎縮も無縁に(2016年2月10日配信『朝日新聞』−「社説」)

 

 放送法4条は番組に「政治的公平」などを課している。表現や言論の自由を保障する憲法のもとで、報道内容にまで及ぶ、例外的な規定だ。慎重に扱わなければならない条文で、放送局が自らを律する倫理規範と考える法律関係者が多い。

 だが、高市早苗総務相は衆院予算委員会で、放送局が4条に繰り返し違反し、改善しない場合には電波停止もありえると答弁した。民主党議員の「恣意(しい)的に運用されれば、政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうる。4条違反での停波はしないと明言してほしい」との質問に、「放送事業者の自律が基本」としながらも「将来にわたってありえないとは断言できない。その時の総務大臣が判断する」と答えた。

 高市氏はこれまでも4条は倫理規範ではないとし、「罰則規定も用意されていることによって実効性を担保する」と語っている。だが放送法は、表現の自由の確保や民主主義の発達に資することが目的だ。「政治的公平」のように、いかようにも判断できる条文について罰則を持ち出すのはふさわしくない。

 民主党政権も同じ判断だったと高市氏は言う。確かに2010年の参院総務委員会で、当時の片山善博総務相は、行政処分をする権限があるとした。だが同時に「表現の自由、基本的人権にかかわる。極めて限定的、厳格な要件、謙抑的でなければいけない」とも述べた。

 現政権下で自民党は「放送の自律」を軽視する態度を続けている。テレビ局の幹部を呼んで個別番組について事情を聴き、選挙報道で「公平中立、公正の確保」を求める文書を送った。「マスコミをこらしめる」などの発言もあった。NHKの新年度予算案を審議する総務会では「解説委員が無責任な評論家、コメンテーターのような発言をしている」と放送内容に干渉するような批判も出た。自民党のこうした振る舞いが続く中での総務相の停波への言及は、放送への威圧とも受けとれる。

 この春、報道番組のキャスター、国谷裕子氏、岸井成格氏、古舘伊知郎氏が降板する。政権にはっきりものを言う看板番組の「顔」の交代に、報道の萎縮を懸念する声も上がっている。各局は番組を通して、それを払拭(ふっしょく)してもらいたい。

 「政治的公平」は、政治権力と向き合い、それとは異なる意見にも耳をすまして、視聴者に多様な見方を示すことで保たれる。報道機関である放送局が萎縮しその責任から後退したら、民主主義の土台が崩れる。

 

公平中立をめぐる空気(2016年2月10日配信『朝日新聞』−「天声人語」)

 

 いささか古い話だが、ニュースキャスターの降板で思い出すのは故・田英夫(でんひでお)さんだ。後に参院議員も務めた田さんは1968年3月27日、「それではみなさん、さようなら」の言葉を最後にTBSの「ニュースコープ」を退いた

▼背景には、田さんのベトナム戦争報道をめぐって、自民党の横やりがあったとされる。子細は省くが、自民党からは「共産主義の宣伝」といった批判が起きたという。これに対し田さんは、著書で「政府・自民党には『真実の報道』であったがゆえに、きわめて不都合だったのである」と述べている

▼放送法を盾にとっての権力の口出しは、今に始まったことではない。晩年の田さんにインタビューしたとき、マスコミが公平中立に縛られる懸念を語っていた。ご存命なら、今の政権と放送の在りように言いたいことは多かろう

▼8日と9日の国会では、高市総務相が、政治的な公平を欠いた場合の電波停止の可能性に言及した。「繰り返せば」の前提をつけてだが、放送関係者はどう受け止めただろう

▼〈「政治的中立性」とは「自民党のやることに異議を唱えない」こと〉松木秀。朝日歌壇の一首は昨今の空気をすくい取る。言論の自由とは、権力や多数派にもの申す自由をこそいうはずだが、放送に限らずその足元が、どうにも危うい

▼「風船を何百個も上げると、みんな同じ方向へ飛んでいくような風を、マスコミが作ってはいけない」と田さんが語ってくれたのが胸に残る。もの言う志を磨きたい。

 

総務相発言 何のための威嚇なのか(2016年2月10日配信『毎日新聞』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる可能性に言及した。

 「再発防止が十分でないなど非常に極端な場合」というが、強制的に放送をやめさせる停波に踏み込んだのは唐突であり、異様である。権力の露骨な威嚇と言わざるを得ない。

 「放送が公益を害し、将来に向けて阻止することが必要であり、同一の事業者が同様の事態を繰り返す」

 「行政指導しても全く改善されず、繰り返される場合に、何の対応もしないと約束するわけにはいかない」

 高市氏は放送法に基づく業務停止命令や電波法による電波停止命令の要件などにもふれた。

 他方で、「私が総務相の時に電波を停止することはないが、将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と述べた。

 法律に電波停止の規定はあるが、いま差し迫った問題があるわけではない。放送局に強大な行政権を持つ総務相が、何のために公の場で無用の発言を繰り返すのか。安倍政権の意図を疑われても仕方ないだろう。

 電波法76条は、放送法などに違反した際に一定期間電波を止め、従わなければ免許を取り消すことができると規定する。放送法4条は、政治的公平などを番組に求めている。

 だが、番組は放送局の自覚と自律において自主的に規制されるべきである。放送法4条は、倫理的な規範というのが従来の解釈だ。この前提を恣意(しい)的に曲げてはいけない。

 公平中立を理由に、政府・与党がテレビの報道番組に口を出し、波紋を呼ぶ例がこのところ続いている。

 衆院選を控えた2014年11月、自民党は安倍政権の経済政策を街頭で聞いたTBSの報道が偏っていたとして、在京6局に「公平中立」を求める文書を送った。昨年4月には同党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の番組内容について、両者の幹部を呼んで事情を聴いた。

 総務省は、放送法4条を倫理規定から制裁を視野に入れた法的な規定とみなす解釈に変わってきた。安倍晋三首相は昨年11月の衆院予算委で放送法について「単なる倫理規定ではなく法規であって、法規に違反しているのだから担当の官庁が法にのっとって対応するのは当然だ」と語った。

 安倍政権の放送法解釈には大きな問題がある。制度上も政治の影響を受けやすい放送局に、政権与党が制裁を視野に入れて公平性を働きかければ圧力と取られかねない。

 放送の問題を自主的に解決するため、NHKと民放は放送倫理・番組向上機構(BPO)を設立し、成果をあげてきた。政府は放送法の原則に立ち返り、努力を見守るべきだ。

 

総務相発言 恣意的解釈によるものだ(2016年2月10日配信『新潟日報』−「社説」)

 

 高市早苗総務相が衆院予算委員会で、行政が放送局に対し電波法に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。

 発言は、放送局が政治的に公平であることを定めた放送法の違反を繰り返し、行政が何度要請しても全く改善しない場合、「何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」とした。

 政治的に公平でないことを理由に政府が電波停止に踏み切ることには根本的な疑問がある。

 いま行政の強い手段を担当大臣が口にするのは勇み足の感も拭えない。報道への干渉や圧力をためらわない安倍政権の体質が表れたようにも見える。

 高市氏は放送法について「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」と述べた。

 これは安倍政権の日頃からの主張だ。「報道は事実をまげないこと」「政治的に公平であること」を求める第4条が、それに基づいて行政指導などを行える「法規範性を持つ」とする。

 一方、放送局側が自主的に守るべき「倫理規範」だと主張するのは、放送界の第三者機関として放送の自律と質の向上を促す役割を果たす、放送倫理・番組向上機構(BPO)だ。

 BPO放送倫理検証委員会の川端和治委員長がその理由について昨年、語っている。

 放送法は第1条で「自律」「表現の自由」という原則を示しており、「第4条が倫理規範でなければ表現の自由を定めた憲法21条に違反する」と指摘した。

 戦時中の検閲などが表現の自由を抑圧した反省がある。このため放送法は戦後、番組や放送局の管理に国家を介入させないためにできたと研究者は言う。

 そうだとすれば、自律の原則や憲法21条を踏まえず、「法規範性を持つ」とする政権の解釈は、恣意(しい)的との批判を免れまい。

 NHKの報道番組でやらせがあったとされる問題で、昨年、総務省がNHKに厳重注意し、自民党が事情聴取した。

 やらせ問題を「重大な放送倫理違反」と批判したBPOは、その一方で、総務省と自民党の対応に「圧力そのものだ」と鋭く警鐘を鳴らしている。

 安倍政権は放送への干渉を強めてきた。2014年の解散に当たり在京各局に「公平中立、公正の確保」を求める文書を送った。民放番組で安倍晋三首相が「街の声」の選び方を批判した。

 昨年は自民党議員が、マスコミを懲らしめるには広告料をなくすことが一番だと、圧力を容認する発言をしていた。

 表現や言論の自由、知る権利の確立は民主主義の基盤である。そうした社会の共通認識に立ち、報道への干渉を自制する常識が欧米各国はもちろん、日本の過去の政権にはあった。

 自律と引き換えの重い責任を私たちメディアが果たさねばならないのはもちろんだが、批判を嫌がり、力ずくで口をふさごうとするかのような政権の態度は改めなければならない。

 

電波停止発言 知る権利を侵害する(2016年2月10日配信『信濃毎日新聞』−「社説」)

 

 政治的公平をうたう放送法違反を放送局が繰り返したと判断するときは電波停止を命じる可能性もある―。衆院予算委で高市早苗総務相が述べた。

 電波の停止処分は放送に対する究極の権力介入だ。報道の自由を危うくし、国民の知る権利を侵害する。可能性に触れるだけでも放送局を萎縮させる。発言を見過ごすことはできない。

 放送法4条は番組編集の基準として、(1)公安・善良な風俗を害しない(2)政治的に公平(3)事実をまげずに報道する(4)意見が対立する問題ではできるだけ多くの角度から論点を明らかにする―の4項目を掲げている。

 総務相は(2)の規定に関連して、電波停止について「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と述べた。停止処分の直接の法的根拠には電波法を挙げた。

 放送法4条違反を理由に停止処分をするのは許されるのか。

 4条は倫理規定、と見るのが法律の専門家の定説だ。いわば努力目標であり、処分の理由にならないというのである。

 高市総務相が挙げる電波法は電波の「公平かつ能率的な利用」を目的とする。番組内容に関わる問題に援用するのは無理がある。

 総務相は公平を欠く放送の一例に、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、他の見解を支持する内容を相当時間にわたって繰り返し放送した場合」を挙げた。

 この発言にも問題が多い。公平かどうか政府が判断するとなれば言論統制につながる。

 憲法は集会、結社、言論、出版その他「一切の表現の自由」を国民に保障している。この規定を受ける形で、放送法は法律の目的を「放送による表現の自由を確保すること」とうたった。

 憲法、放送法の規定はメディアが戦争遂行の道具にされた歴史の反省に立っている。掘り崩すのは許されない。

 政府、自民党はこれまでしばしば、停止処分をちらつかせて放送に圧力をかけてきた。例えば1968年にはTBSのベトナム戦争報道を問題視し、キャスターの田(でん)英夫氏を降板させている。

 政府、与党が番組内容に口を挟むようでは、放送は政治宣伝の道具になってしまう。放送を政治から切り離すために、放送事業に関する権限を独立の第三者機関に委ねることを考えるときだ。

 

器の小さすぎる高市総務相の発言(2016年2月10日配信『日刊スポーツ』―「政界地獄耳」)

 

★8日の衆院予算委員会で、総務相・高市早苗は民主党議員の質問に答える形で放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」としたが、この発言のポイントは政府批判など出演者の発言はチェックしているし、許さないという放送免許を利用した放送局へのけん制と受け取るべきだ。

★過日の予算委員会で、首相・安倍晋三は報道の自由について触れ、一部夕刊紙が政権批判を繰り返していることを前提に、報道の自由は「生きている」と強く訴えたが、新聞や雑誌に放送局のような免許制度はない。ただ軽減税率の対象に一般紙が含まれるといわれていることを念頭に置けば、その限りでもないかもしれない。テレビや新聞の経営幹部や編集・報道幹部は、首相が食事をするといえばすっ飛んで行き、もみ手で同席する状態。出席を拒んだり、飲み代を自分で支払い、税金でごちそうになることを拒んだ話も聞いたことがない。

★高市発言の大きな間違い、発言の大前提に「報道の自由や表現の自由は担保されることが大前提だが」の一言がないことだ。意図的に言わないのならば、明らかに政権批判自体を許さないとの意思が込められていることがわかる。以前の自民党はこんな器の小さい議員はいなかった。批判を答えていくことこそが言論府の議員の役割。メディアで批判されることを恐れているのは政策に自信のない表れと思われても仕方がない。高市は総務相になる前、党政調会長時代に「国会周辺のデモもヘイトスピーチ」と妙な理屈をこねた人物。不偏不党にこだわりたいのならば、今後の総務大臣はすべて民間人にすると、まずはご自身でおっしゃればいい。大臣が自民党の議員なのは偏ってはいないのだろうか。

 

キャスター交代/懸念払拭する報道を望む(2016年2月9日配信『神戸新聞』−「社説」)

 

 NHKや民放の報道番組の看板キャスターらがこの春、相次いで交代する。それぞれに事情はあるようだが、現政権に辛口の意見を述べたり、鋭い質問を浴びせたりしていた人たちがそろって降板することに懸念の声が上がっている。

 テレビ朝日「報道ステーション」のメーンキャスターを12年間務めている古舘伊知郎(ふるたちいちろう)さん、1993年から放送されているNHK「クローズアップ現代」の当初からのキャスター国谷裕子(くにやひろこ)さんが3月末に降板し、TBS「NEWS23」のアンカー岸井成格(きしいしげただ)さんも交代する。

 古舘さんは「12年を一つの区切りとして辞めさせてほしいと申し出た」と話した。ほかの2番組は内容を一新するとしている。

 キャスターらの降板がさまざまな臆測を呼ぶのは、政権側からメディアへの圧力とも言うべき動きが続いているからだ。特にこの3番組はやり玉に挙げられていた。それが降板の理由ではないと信じたい。政権の意向を忖度(そんたく)し、放送局が自制するようなことがあってはならない。

 テレビ報道への注文は一昨年末の衆院選のころから目立つようになった。「NEWS23」に出演した安倍晋三首相が、アベノミクスに懐疑的な「街の声」の選び方を批判した。その直後、衆院選報道をめぐり、自民党が在京各局に「公平中立、公正の確保」を求めた。

 昨年4月には「クローズアップ現代」のやらせ問題を指摘されたNHKと、出演者が官邸批判をした「報道ステーション」のテレビ朝日の幹部を自民党が事情聴取した。

 言論や報道の自由を軽視するような危うい動きと言うしかない。

 昨年11月、放送業界の第三者機関、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、NHKへの事情聴取などに対し「政権党の圧力」と厳しく批判したのも、そうした危機意識からだ。政権側からの介入やけん制に異議を申し立てた、異例の意見表明だった。

 「不偏不党」「自律」を保障するよう求められているのは権力の側である。一方、放送局も「自主・自律」の原則を貫き、番組の質の向上を目指す努力が欠かせない。政権に批判的な報道を控えるような姿勢に陥れば視聴者の信頼は失われる。

 各報道番組が降板への懸念を払拭(ふっしょく)する内容となることを望みたい。

 

高市総務相が「電波停止」言及 テレビ局への政治圧力加速か(2016年2月9日配信『日刊ゲンダイ』)

 

 テレビ業界に激震が走っている。高市早苗総務相が、8日の衆院予算委で、放送法に基づく「電波停止」をテレビ局に発する可能性に言及したのだ。

 民主党の奥野総一郎議員が、安倍政権に批判的とされる民放キャスターの降板が相次いでいる状況を指摘し、「電波停止が起こり得るのではないか」と質問。すると、答弁に立った高市大臣は「将来にわたり可能性が全くないとは言えない」とし、さらに「(放送法は)単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」と踏み込んだのである。

 安倍政権では、一昨年12月の総選挙の際に民放記者を呼びつけて「公平中立」の報道を要請したり、自民党勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番」といった発言が飛び出したりと、テレビ局に対する数々の「政治圧力」が問題になった。

 とうとう、テレビ局を所管する総務省の大臣が国会で「電波停止」を口にし始めた形だ。

 すでに民放各局は、安倍政権を強く批判することはなくなっている。TBSもテレ朝も政権に批判的なコメンテーターを一掃してしまった。「電波停止」を持ち出されたことで、さらに自粛を強めるのは確実だ。この先、自由な報道はますます、やれなくなる可能性は高い。

 しかし、高市大臣からこうした発言が飛び出すのも、テレビ局が安倍政権に対して毅然とした態度を取ってこなかった自業自得だ。

 元NHK政治記者で評論家の川崎泰資氏はこう言った。

 「テレビ局はナメられているのですよ。これまでの政治介入に対し、NHKも民放連も何らまっとうな反論をしていないから、政権側は『俺たちの言いなりになる』と思っている。甘利前大臣が辞任しても支持率が上がる状況を見て、メディアコントロールがうまくいっているとほくそ笑んでいるのでしょう。だから、大問題である電波停止なんて発言が国会で平気で飛び出すのです」

 安倍政権はメディアに対して、どんどん強権的になっている。テレビ局は自分で自分のクビを絞めている状況に早く気付くべきだ。

 

 

高市総務相も逃げた国連「表現の自由」特別報告者の舌峰(2016年4月20日配信『日刊ゲンダイ』)

 

 安倍政権にしたら「厄介者がやっと帰ってくれた」というところじゃないか――。日本における「表現の自由」を調査するため、国連人権理事会から“特別報告者”に任命されたデビッド・ケイ氏(47=米カリフォルニア大アーバイン校教授)が、1週間の滞在を終え、19日米国に帰国した。

 本来は昨年12月に来日するはずだったが、直前に日本政府が「来秋への延期」を要求。これに対し、「国連の調査を妨害するのか」という批判が世界中で高まり、今回、予定が前倒しされたという。

 ケイ氏は、19日帰国直前に外国特派員協会で会見。政府の“ドタキャン”の経緯について質問されると、こう説明した。

 「昨年11月、日本の外務省から『予算編成作業があり十分な受け入れ態勢が取れない』と説明があった。本当の理由はそちら(日本のマスコミ)で政府に聞いて欲しい」

 ケイ氏は特定秘密保護法、放送法、記者クラブ制度の弊害などにも言及。

 「事前調査した上で来日したが、実際にジャーナリストや官僚にヒアリングして、日本メディアの独立性についてむしろ懸念が強まった。特定秘密保護法は秘密の範囲が広過ぎる。情報を制限するとしても、もっと透明性の高い形ですべきだ。記者クラブ制度は、調査ジャーナリズムとメディアの独立性を制限しようとしている」

 ケイ氏の批判の矛先は安倍政権の閣僚にも向く。菅官房長官を名指しし、「自分の放送法の解釈に従わない番組があることを、オフレコ懇談で批判したと聞いた」と暴露。電波停止の可能性をチラつかせてテレビ局をドーカツしようとした高市総務相についても、「何度も会いたいと申し入れたが、国会会期中などを理由に断られた」と批判した。

■「報道の自由度」は72位に下落

 会見を取材したジャーナリストの志葉玲氏はこう言う。

 「ケイ氏が予定を前倒しして来日したのは、日本メディアの危機的現状を強く危惧しているからでしょう。どうしても参院選前に調査したかったのだと思います。『ジャーナリストのパスポートを没収しないように』と、外務省に提案したと言っていましたが、安倍政権になってからのメディア規制はひど過ぎます。ケイ氏から逃げ回り、説明責任を果たさなかった高市総務相はサイテーだと思いました」

 くしくも今日、非営利のジャーナリスト組織「国境なき記者団」の「報道の自由度」ランキングが発表された。

 2010年、日本は過去最高の11位まで順位を上げたが、安倍政権になった途端に急落し、昨年は過去最低の61位。そして今年は72位と、さらに順位を下げた。当然か。

 

高市総務相の電波停止発言(2016年2月25日配信『しんぶん赤旗』)

 

自民党の強権体質表す 改憲草案でも表現活動制限

 

図

 放送局が政治的公平性を欠いた番組を繰り返し放送した場合、電波停止を命じる可能性を明言した高市早苗総務相への批判がやみません。世論調査では、同氏の発言について報道の自由を「脅かす」「どちらかといえば脅かす」が計67・4%に上っています(共同通信、20、21日実施)。批判に耳を傾けず高市氏は同様の発言を繰り返しています(22日)。

 公共性の高い電波放送に政治的公平性が求められるのは当然ですが、放送内容に対する権力者の介入が許されるかは、全く別の問題です。担当する総務相がこうした発言を繰り返し、放送事業者やメディアに強い萎縮効果を与えること自体が、憲法で保障された表現の自由を圧迫する言動です。

 重大なことは、こうした高市氏の態度は、自民党の強権的体質そのものの表れだということです。

 自民党改憲草案(2012年)は、表現・結社の自由の保障をめぐり、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行ない、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と明記(草案21条2項)しました。「公の秩序を害することを目的」だと権力者が認める表現活動や結社は「認めない」という、驚くべき強権条項です。

 何が「公の秩序」かを判断するのは時の政府・権力者です。政権や体制を批判すること自体が「公の秩序を害する目的」とされかねません。目的=内心の制約そのものにつながる恐れもあります。

 個人の自由を保障するはずの憲法が、言論弾圧の治安維持法に転化するような内容です。

 昨年夏の戦争法案の審議中に、安倍晋三首相に近い若手議員の会合で、戦争法案に批判的なマスコミを「懲らしめろ」とか、「沖縄の二つの新聞をつぶせ」という発言が飛び出し、世論の厳しい批判を受けました。

 放送番組の内容しだいで電波停止命令に及ぶことを示した高市発言は、「秩序」に歯向かう言論は認めないという、自民党の体質と思想のあらわれです。 

 

高市総務相;「電波停止」発言 個別番組へ干渉? 広がる懸念(2016年2月22日配信『毎日新聞』)

 

 高市早苗総務相が放送法4条の「政治的公平」の解釈について、一つの番組だけでも放送局に電波停止を命じる可能性に言及し、総務省は「一つ一つの番組を見て全体を判断する」との政府統一見解を出した。総務省はこれまで「放送事業者の番組全体を見て判断する」としており、憲法の専門家からは「個別の番組への干渉にならないか」と懸念する声が上がる。テレビを巡る表現の自由は守ることができるのか。

 「踏み込んだ感じがする。萎縮しているわけではないが、『一つ一つの番組』と言われると個別の番組名が浮かぶ気がする」。在京テレビ局で働く男性は政府統一見解について、そう語った。

 男性が警戒感を強めるのには、理由がある。2014年の衆院選前、安倍晋三首相がTBSの報道番組に出演中に番組内容を批判したのを受けて、自民党が在京各局に選挙報道の「公平中立」を求める文書を手渡した。

 その6日後にはテレビ朝日に対し、報道番組の経済政策の取り上げ方を巡って放送法の規定を持ち出し「公平中立な番組作成に取り組む」よう要請文を送った。昨年4月には自民党の調査会が、テレビ朝日とNHKの番組内容について、両局幹部を呼んで事情を聴いた。

 こうした経緯があった中で、高市氏は今月8日以来、国会答弁で放送法の「政治的公平」や放送局の電波停止に度々言及している。

 放送法4条は番組編集に当たって「政治的公平」「事実をまげない」「意見が対立する問題は多角的に論点を明らかにする」ことなどを規定している。この4条の規定について放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は昨年11月、「放送事業者が自律的に番組を編集する際の基準、『倫理規範』だ」との意見を出した。この考え方は、憲法の専門家の通説となっている。

 一方、総務省は従来、4条について「法規範」であり違反した場合は電波法76条により電波停止命令を出せると解釈してきた。そして4条の「政治的公平」に関しては、放送局の番組全体を見てバランスが取れているかどうか判断するとしてきた。

 高市氏は今回の「電波停止」答弁について、従来の総務相らの答弁を踏襲したものだとしている。ただ、昨年12月に市民団体からの質問に答えた文書で、選挙期間中に特定の候補者ばかりを取り上げる報道などを例に挙げ「一つの番組のみでも、極端な場合においては、一般論として『政治的に公平であること』を確保しているとは認められない」「国会答弁でも申し上げている」とした。

 総務省は12日、こうした高市氏の発言を整理する形で、「これまでの解釈を補充的に説明し、明確にしたもの」「(政治的公平は)一つ一つの番組を見て、全体を判断する」との政府統一見解を出した。

 渋谷秀樹・立教大教授(憲法)は「『一つ一つを見る』とする統一見解は、全体としてバランスを取ればよいとする従来の解釈を逸脱している。個別の番組を見るなら、政府機関に不都合なものをチェックすることになり、表現の自由を確保するために放送の自律を保障する放送法1条に違反する」と話す。【青島顕】

 

独立機関が審査 欧米

 欧米では政府から独立した機関が放送局に対する許認可権を持ち、放送内容に意見する。メンバーは国会で承認を受けることが多く政治的影響は皆無とは言えないが、政府が番組内容に関わる統一見解を示し、総務相が電波停止の権限を持つ日本とは、仕組みが大きく異なる。

●米国

 米国は政府から独立した連邦通信委員会(FCC)が、放送免許の付与や取り消し、規則の制定など幅広い権限を持っている。委員は5人。委員長は大統領と同じ政党から、残る4人は共和党と民主党から2人ずつ選ばれるのが通例となっている。

 放送内容に問題があると罰金を科すこともあり、2004年には胸を露出した女性と下着姿の男性が出演する「わいせつな番組」を放送したとして、FOXテレビと系列局に約1億3000万円の罰金を科した。

 ただし1987年には視聴者が多様な意見に触れる機会を確保するとしてFCC規則から「公正原則」を削除した。各局は原則として政治的中立性にとらわれずに報道できる。

●英国

 英国では、政府から独立した規制機関である放送通信庁(オフコム)が放送の免許付与や監督などを担っている。正確で公平な報道を求める「番組基準」を制定し、基準が順守されているか監視している。意思決定機関であるオフコム役員会は、通信産業の経営者やジャーナリズム研究者ら9人で構成する。

 さらに公共放送の英国放送協会(BBC)には、問題のあった番組の調査を含め業務全体を監督する「BBCトラスト」が置かれている。委員12人は新聞などで公募され、ジャーナリスト、元公務員、学識経験者などから幅広く選ばれている。

 議会で質疑応答などを経て推薦されるため、政治の影響も一定程度受ける。報道への政府の干渉を完全に排除できているわけではない。

●ドイツ

 ドイツではナチスに放送を利用された教訓を生かし、放送の監督権限は中央連邦政府になく、各州に分けられている。多様な意見に配慮し、公平公正な放送に努めるよう求める点は共通するが、放送法も州ごとに制定されている。

 各州に、州政府から独立して放送の認可や番組の監督を行う機関がある。11ある公共放送にはそれぞれ経営委員会があり、民間放送には州メディア監督機関が置かれている。

 それでも、人事権を利用して政党が放送に影響を与えようとしたことがある。14州と2特別市が共同で設立した公共放送の第2ドイツテレビ(ZDF)では09年、当時の報道局長の任期延長を保守政党の影響の強い経営委員会が拒否した。

 この問題を巡っては連邦憲法裁判所が14年3月、経営委員14人のうち半数近い6人が州政府や政党の関係者で占められている状態を問題視し「放送の自由が損なわれている」と一部違憲判決を出している。

       ◇

 日本でも第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の意向を受け、米国のFCCにならった独立行政機関「電波監理委員会」が50年に設置され、放送を含む電波行政を担当した。しかし、占領が終わった52年、吉田茂内閣が同委員会を廃止し、権限を郵政相(現在の総務相)に移した。

 

特集ワイド;高市氏の「停波」発言 ホントの怖さ(2016年2月18日配信『毎日新聞』)

 

 テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止(停波)を命じることができる−−。高市早苗総務相がそう述べたことに、「報道への介入だ」「言論の自由を脅かす」と反発する声が強まっている。この発言、ホントの怖さとは?【小国綾子、葛西大博】

 事の発端は8日の衆院予算委員会。「放送事業者が極端なことをして、行政指導をしても全く改善されずに公共の電波を使って繰り返される場合に、全くそれに対して何も対応しないということは約束するわけにはいかない」。高市総務相が、民主党の奥野総一郎衆院議員の質問に対する答弁で、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返せば、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づき停波を命じる可能性に言及したのだ。

 9日の予算委でも「将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と重ねて答弁。安倍晋三首相は10日の予算委でこの答弁を追認し、「政府や我が党が、高圧的に言論を弾圧しようとしているイメージを印象づけようとしているが全くの間違いだ。安倍政権こそ、与党こそ、言論の自由を大切にしている」と主張した。

 高市氏は「従来の総務省の見解を答弁しただけ」と強調する。だが質問者の奥野氏は「意図的に踏み込んだ発言」とみる。元総務官僚で放送行政に詳しい奥野氏は「役人なら、ああいう答弁は書きません。放送法違反で停波することはないか、という私の質問には『仮定の質問にはお答えできません』と答えるのが普通。しかし高市さんは紙を見ることなく自分の言葉で答弁していた」と振り返る。

 砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)は「安倍政権はこれまでもメディアコントロールに積極的だった。それゆえ今回、従来の政府見解を重ねて示したというが、『停波』への言及は放送事業者への威嚇となり、表現の自由への攻撃になりかねない」と警告する。

萎縮する放送現場

 総務省によると、虚偽報道などを理由とした放送法に基づく総務相や総務省局長名などの番組内容への行政指導は、1985年からの約30年間で36件。そのうち最初の安倍政権(2006年9月07年9月)の約1年では7件に上る。一方、民主党政権下では一件の行政指導もなかった。

 さらに現安倍政権下でも、衆院選を控えた14年11月、自民党は安倍政権の経済政策について街頭で聞いたTBSの報道が偏っていたとして、在京6局に「公平中立」を求める文書を出した。昨年4月にはNHKとテレビ朝日の番組内容について事情聴取し、NHKに総務相が行政指導をした。

 「米国で、オバマ大統領に批判的な報道をしたからといって、民主党がテレビの幹部を呼びつけるでしょうか」と砂川さん。「NHKは国会での自身の予算審議、民放は4月の番組改編を決める今の時期に、何度も『停波』の可能性に言及すれば、夏の参院選報道にも影響しかねない」と危惧するのである。

 国際ジャーナリストでテレビキャスターも務める蟹瀬誠一さんが打ち明ける。「『停波』発言が出れば現場はどうしても萎縮する。日本は企業ジャーナリズムで会社の縛りが強い。放送局の経営者は権力者側に近い面があり、そのような幹部の下では現場にもプレッシャーがかかる」

 放送法4条では「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」など放送事業者が番組編集上守るべき規則を定めている。放送による表現の自由は憲法21条で保障されているため、放送法4条は憲法に抵触しないよう、放送局自身が努力目標として目指すべき「倫理規範」というのが多くの学者たちの解釈だ。しかし93年のテレビ朝日の「椿発言」をきっかけに、総務省は、罰則を科すことのできる「法規範」とする解釈を採用。電波法76条では、電波停止命令の権限が総務相に与えられている。

 高市氏が、一つの番組だけでも政治的公平性を欠いたと判断する可能性に言及したことも波紋を広げた。政府は12日、「一つの番組でなく放送事業者の番組全体を見て判断する従来の解釈に何ら変更はない」との統一見解を示したが、高市氏や安倍首相はその後も「『番組全体』は『一つ一つの番組の集合体』であり、一つ一つを見て全体を判断するのは当然」と述べている。

 蟹瀬さんは「昔ならともかく、多メディア、多チャンネル時代には、一つの番組を見て判断することは意味をなさない」と批判する。ジャーナリストの江川紹子さんも「さまざまな偏り方をした多様な番組が存在し、放送界全体で公平性が取れている方が国民は多様な情報に触れられます」。

 「一つ一つの番組の中でバランスを取れ、両論を扱えとなると、国民に対する情報提供の範囲は狭まってしまう」と憤るのは砂川さんだ。

自由が侵される

 高市氏は、民主党政権下の10年11月に、当時の平岡秀夫副総務相が同じ趣旨の答弁をしている、とも主張する。

 江川さんが言う。「議事録によれば、平岡氏は総務省見解を述べた上で、罰則については『極めて慎重な配慮の下に運用すべきもの』と強調しています。片山善博総務相(当時)も『表現の自由、基本的人権にかかわること』だから『極めて限定的』『厳格な要件の下』で『謙抑的でなければいけない』と答弁している。高市発言とのニュアンスの違いは一目瞭然です」

 市民団体「放送を語る会」と日本ジャーナリスト会議(JCJ)は「言論・表現の自由への許しがたい攻撃だ」と高市氏に辞任を求める声明を発表した。しかし、この問題に対する新聞報道には各紙に温度差がある。

 米国のAP通信や「TIME」誌での記者経験のある蟹瀬さんは「欧米メディアならば報道機関が連携し、抗議しているところでしょう。日本では放送局は許認可事業だからどうしても立場が弱い。新聞や雑誌が反対運動を展開する必要がある」と語る。

 江川さんは「一般の人々の関心が決して高くない」ことに不安を感じている。「『政治的公平性を守る』『一方的見解ばかりを取り上げない』といった政府の言い分は一見もっともらしいから」と分析しつつ、「安倍政権は、マスコミ不信という世論を利用し、自分たちの権限を拡大しようとしている。政府自身が政治的公平性を判断し、気に入らない報道があったら呼びつける、というのでは言論の自由は守れません」と訴える。

 砂川さんは警告する。「今回の『停波』発言は、決して『高市&安倍VSテレビ局』という構図じゃない。メディアが規制を受けることは間接的に国民の言論統制につながる。それは戦前の歴史を見れば明らかです」。本当に怖いのは、メディアが政治に屈することで、私たちの「自由」がじわじわと侵されかねないという点なのだ。

 

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。

二 政治的に公平であること。

三 報道は事実をまげないですること。

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

「総務省の従来見解」か「表現の自由を損なう」か(2016年2月12日配信『毎日新聞』)

 

 

 放送局の免許権限を持つ高市早苗総務相が、政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性に言及したことが波紋を広げている。総務省の従来見解との見方もある一方、局の存廃につながる権限行使に国会で繰り返し触れたことに、憲法学者や放送業界から「表現の自由を損なう」との批判が出ている。

 8日の衆院予算委員会で高市氏は、政治的公平などを規定する放送法4条の違反で電波停止をしないか確認した民主党の奥野総一郎氏の質問に「行政指導しても全く改善されず繰り返される場合、何の対応もしないと約束をするわけにはいかない」と答えた。

 翌9日の予算委でも民主党の玉木雄一郎氏に「1回の番組で電波停止はありえない。私が総務相の時に電波を停止することはないが、将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と答弁した。

 これに対し、ある民放関係者は「総務相が電波停止をちらつかせることは、放送の自由度を狭める雰囲気を作っているとしか思えない」と警戒する。

 一方、別の民放関係者は「これまで政府が示してきた方向性を改めて示しただけ」とみる。ただ、「制作現場では政治的な問題を取り上げる時、片方の意見だけを取り上げないよう、かなり気を使っている」と明かす。

 放送法4条は「政治的に公平であること」「放送は事実をまげないですること」など放送事業者が番組編集上守るべき規則(番組編集準則)を定める。放送法違反に対しては、同法174条が総務相に業務停止命令の権限を与え、電波法76条は電波停止命令ができると規定している。

 総務省の元事務次官が書いた放送法解説書は、放送法違反が明らかで、放送が公益を害し将来に向けて阻止する必要があり、さらに同様の事態を繰り返し再発防止の措置が十分でない場合に停止できるとする。

 2007年に増田寛也総務相(当時)が答弁で電波停止に触れ、民主党政権でも10年に平岡秀夫副総務相(同)が「極めて慎重な配慮で運用している」と述べた。菅義偉官房長官は9日の記者会見で高市氏について「当たり前のことを答弁したに過ぎない」と語った。

 しかし、憲法学者の間では、放送法4条の番組編集準則は放送局の「倫理規定」で法規範ではないとの解釈が通説。4条を根拠に放送に干渉すれば、表現の自由を保障する憲法21条に抵触するとの考え方が根強い。

 放送法に詳しい鈴木秀美・慶応大教授(憲法、メディア法)は「今回の発言は大枠で従来の総務省の解釈に沿っているが、運用上のハードルを下げているともとれる。繰り返し答弁すれば放送事業者への威嚇になり、表現の自由を損なうことになる」と話している。

 日本民間放送労働組合連合会は10日、「放送局に対する威嚇・どう喝以外の何ものでもない」と撤回を求める声明を出した。

 

閣僚の問題発言次々(2016年2月12日配信『しんぶん赤旗』)

 

「電波停止」圧力 原発被害者に背 基本知識の欠如

  甘利明前経済再生相の口利き疑惑に幕引きをはかる安倍晋三首相のもとで、憲法軽視や大臣の資質そのものが問われる暴言・発言が相次いでいます。マスコミの世論調査での「高支持率」におごりたかぶった姿勢があらわです。


自由抑圧

 高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、政治的に公平でない放送を繰り返したと判断した場合に、電波法76条に基づき電波停止を命じる可能性に言及。9日の同委員会では「9条改憲に反対する内容を繰り返し放送した場合」の対応を問われると、「罰則規定を一切適応しないということは担保できない」と、重ねて「電波停止」の可能性を示しました。菅義偉官房長官は「高市大臣の言っていることは当たり前のこと」(9日の会見)と発言を当然視しています。

 放送法は、戦前の放送が戦争遂行の機関となった反省を踏まえて、権力からの独立を何よりも大事にしており、同法3条は放送番組について「何人からも干渉され、または規律されることがない」と定めています。高市氏や菅氏の発言は、こうした放送法の精神や憲法が保障する「表現の自由を」を踏みにじるものです。

 「憲法を守れ」という内容の放送を、憲法尊重擁護の義務を負う政府が「電波停止」してまでやめさせることを否定しない態度は重大です。安倍首相や自民党幹部は、連日のように9条の明文改定に言及しています。高市氏の発言は、安倍政権の憲法じゅうりんの体質をますます露骨に示すものです。

決めつけ

 福島原発事故の被害者の気持ちを踏みにじる発言が報じられたのは、丸川珠代環境相です。

 丸川氏は7日の長野県松本市内の講演で、国が除染の長期目標として定める年間被ばく線量1ミリシーベルトについて「『反放射能派』と言うと変ですが、どれだけ(線量を)下げても心配だという人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で、何の科学的根拠もなく時の環境大臣が決めた」と述べました。(信濃毎日新聞8日付)

 丸川氏は9日の衆院予算委で、発言の「記憶はない」としています。しかし、発言が事実ならば、原発事故に対する国の責任の重さの認識もなく、家族が離れ離れで暮らさざるを得なくなるなど苦痛を強いられた被害者に寄り添う姿勢を持ち合わせていないことを示すもので、「除染」にかかわる環境相としての資質が問われます。

会見醜態

 島尻安伊子沖縄北方担当相は9日の会見で、担当である千島問題に関して「歯舞(はぼまい)諸島」の漢字が読めないという醜態をさらしました。10日の衆院予算委で「関係者のみなさまに心配かけたとすれば申し訳ない」と謝罪に追い込まれています。

 北海道の高橋はるみ知事は「大変、残念だ。何回も何回も頭の中でいってもう一度覚えていただきたい」と苦言を呈しています。

 島尻氏はこれ以前にも重大な問題発言を行っています。昨年12月15日、名護市辺野古の新基地建設に反対する沖縄県の翁長雄志知事の姿勢が来年度の沖縄振興予算に関係するか問われ、「全く影響がないというものではない」と発言。自民党県連からも強い批判を受け、事実上の撤回に追い込まれています。

 沖縄担当相として、沖縄振興予算と基地問題をリンクさせた発言を行ったのは島尻氏が初めてです。本来なら、この時点で大臣資質が失われたと判断して当然でした。


高市総務相

 9条改憲反対の内容を繰り返し放送した場合の電波停止について問われ、「(将来の総務相にわたって)罰則規定を適応しないということは担保できない」(9日、衆院予算委員会)

丸川環境相

 年間被ばく線量1ミリシーベルト以下について「何の根拠もない」(7日、松本市内の講演)

島尻沖縄北方担当相

 「歯舞諸島」を読めず、「はぼなんだっけ」と詰まる(9日、記者会見)

 

停波発言は「恫喝」(2016年2月12日配信『しんぶん赤旗』)

 

民放労連声明 総務相に撤回要求

 日本民間放送労働組合連合会(民放労連=赤塚オホロ委員長)は10日、高市早苗総務相が、放送法4条を順守しないことを理由に電波法76条を根拠にして電波の停止があり得ると発言したことに、抗議し発言の撤回を求める声明を発表しました。

 声明は、高市発言は「電波法の停波規定まで持ち出して放送番組の内容に介入しようとするのは、放送局に対する威嚇(いかく)・恫喝(どうかつ)以外の何物でもない」としています。また、「放送局から正当な反論・批判が行われていないことも一因」があるとし、放送局に毅然とした態度をとることが必要だとしています。

 そして、「このような威嚇が機能してしまうのは、先進国では例外的な直接免許制による放送行政が続いていることが背景となっている」と指摘し、放送制度の抜本的見直しも求めています。

 

高市総務相「電波停止」に再び言及 報道萎縮の恐れ(2016年2月10日配信『東京新聞』)

  

 高市早苗総務相が8日に続き9日も衆院予算委員会で、テレビ局などが放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及した。野党側は放送や報道の萎縮につながると批判している。

 Q 政府に放送局の電波を止めることができるのか。

 A 電波停止に関する法律は2つある。1つは番組編集のルールを定めた放送法4条だ。その中で放送局は「政治的に公平」な編集を求められている。

 Q もう1つは。

 A 電波利用の許認可に関する電波法だ。同法76条に基づき、総務相は放送法に違反した放送局に最大3カ月間の運用停止を命じることができる。高市氏は政治的公平性に違反した放送局も、この罰則の対象になりうるという考えを示したんだ。

 Q 政権の主張と異なる番組を放送したら、電波を止められる恐れはないの。

 A 憲法で表現の自由が保障されている。放送法の目的には「放送による表現の自由を確保すること」と書いてある。高市氏も「1回の番組で電波停止にすることはありえない」と説明している。同じ放送業者が同様の違反を繰り返し、自主的な改善が見込めない場合に限り、電波停止の適用を慎重に判断するという。

 Q じゃあ、そんなに心配はいらないのでは。

 A 心配なのは報道を萎縮させる動きだ。自民党は昨年4月、報道番組でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸批判したテレビ朝日のそれぞれの幹部から事情を聴取した。昨年11月には、放送倫理・番組向上機構(BPO)が自民党によるNHK幹部の聴取を「圧力」と批判した。その後、看板キャスターらの降板決定が相次ぎ、報道のあり方を危ぶむ声もある。

 Q やっぱり心配だね。

 A 民主党の細野豪志政調会長は9日の記者会見で「放送法4条を振りかざして、メディアの萎縮をもたらすと非常に危惧する」と述べた。報道圧力と受け取られる政権側の発言は国会で議論になりそうだ。

 

◇放送法第4条 

 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない

一 公安及び善良な風俗を害しないこと

二 政治的に公平であること

三 報道は事実をまげないですること

四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること